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健康のミソ:健康資本主義で脱精神主義:序論

 よく現代は物質主義に毒されているといわれています。
 しかし実態はどうも限りない精神主義に毒されており、物質が軽視されているらしいことは昨今によく見受けられる品質に関する不祥事などからも明らかです。
 先ずは脱工業でサービス業と情報業の時代だというのがそもそも精神主義的ですね。
 サービス業が日本経済の主眼とされるようになり始めたのは’70年代、高度経済成長の終りと政治における革新勢力の台頭からです。
 その頃までは日本の最大最強の都市は大阪で、高度経済成長の果実を背景に東京が大阪を抜く機会を伺っていました。
 そこで東京はサービス業が中心(というか偏重)の経済と革新政治により大阪を劇的に抜き去った。
 そうしている内に、革新勢力の台頭に対し守勢を敷く自民党も従来の物質主義を脱して防衛力の強化や保守的価値観による精神主義に転じ、今に至っています。それから五十年のこの国の精神主義対精神主義の基本的構図は今も変わらず、日本は失われた三十年どころか失われた五十年とさえいえます。
 誰も三島君にNOと言えなかった。

 勿論、高い経済成長がいつまでも続く訳はありません。
 経済成長率の増減に一喜一憂をしない人間的基礎体力は必要です。
 しかし日本は私が生まれてもいない1970年頃に物質主義を脱して精神主義に入るという大きな過ちにより非常に不健康なお国柄になってしまっている。

 人生百年時代と近年にいわれるようになっています。
 私はそれを本気で信じたいし百年といわず百五十年を最低目標としています。
 しかしどうもそれが本当に信じられているのかどうかは怪しい。
 平均寿命が増しているという統計値だけを拾い、その推移なら今の日本人は皆百歳程まで生きることになるのではないかという根拠の乏しい憶測でしかないのでは。
 現実には平均寿命が八十歳超に増しながら四五十歳までに死ぬ人も増しています。
 平均寿命の増加は偏に乳幼児の死亡率の低下によるもので、乳幼児を過ぎると寧ろ死亡の率が増しているのです。
 昔は平均寿命が五十歳だったことは国民の多くが五十歳程で死亡していたということではなく当時にも百歳程まで生きる人はざらにいました。
 旧約聖書のアブラハムとイサクの話は乳幼児の死亡率の高い当時のイスラエルにおいて間引きをするか否か、否だということについての省察であり、神がアブラハムの忠実さを試したことにアブラハムが忠実に応えたなどという聖書界の内外によく見受けられるちゃんちゃら薄ぺらい精神論では全くありません。そもそもユダヤ・キリスト教は神が人を試すことはないという信仰に基づきます。そこにアブラハムの聞いた神の言とはイサクを屠ることではなくイサクの生涯を健やかに献げさせよということで、寧ろアブラハムは初めは神の言に苦渋にも反しようとし、それを神が止めてアブラハムを説得したのです。

 イサクという名は笑うという意味で、健康のための大きな源泉は笑いです。

 今逸りの腸活、即ち腸内環境の改善は食事も条件ですが笑いが腹から出るものである以上は食事だけではなく笑いも条件になります。
 しかし笑いとは言葉や状況などのどちらかというと精神的なるものに左右されることが多く、その意味では笑いにこだわり過ぎても精神主義になって健康が損なわれかねません。

 以下の記事には主に物質的観点から健康を実現して健康が世の中の資本になるための知見を供します。

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