見出し画像

万物はインターフェース(面際):どう見えるかが大切。

 東名高速道路の横浜青葉関所(interchange)がこの3月20日に25周年になります。
 その二日前の3月18日には相鉄・東急新横浜線が開通。
 その一週間前のきのう3月11日は東北地方太平洋沖地震から12年。

 新横浜線については25年以上前からその話は三菱総合研究所などの未来予想図の本などで聞いており、さてそれが遠い未来なのか近い将来なのか、空理空論なのか現実なのか分からないような感じが当時も今もします。
 基本的には地下鉄との相互直通というのは東急田園都市線(現在は目黒線・埼玉高速や東横線・横浜高速も。)や北大阪急行のような全面直通でなければインターフェース的に(面際的に)あまり意味がないと思うため、相鉄と東急がつながると聞いてもあまり夢の感じられない企画だなと思いました。
 全面直通でも業者等の管轄毎に運賃が別口で高くなるので今一つ助かる感じがしません。
 パリには市内とその周辺の交通を支配する公社があり、相互直通を含め運賃の体系が統一されています。
 フランスは国語もアカデミーにより厳格に定められており、日本は国家とか国民とかいう割には運賃にしても国語にしても極めてええ加減で専任支配の団体を創るとかは自由やdiversity(別志向性)に反するとかいう感じでは。
 その原因は公益、public interestsと公正、fairnessということに関し極めてせこい考え方にあると思われます。
 公益や公正というよりは、当事者間の公平、impartialityで物事が決まる。
 例えば、横浜高速みなとみらい線は何で東急電鉄ではいけないのか?別に神戸高速みたくする必要はないはず。
 一方では横浜高速こどもの国線は何で東急電鉄でなくてもよいのか?別にこどもの国線はなくてもよいはず。
 なんかそこに日本の(地下の?)闇があるのではないかという気がしてしまう。
 国民の自由や平等、さては愛までも、そんなせこい闇の考え方に支配されている。

 公平、impartialityという観念からはインターフェース、interface, 面際という観念はなかなか出ては来ません。
 ネット受けする表現で言えば、公平性とは部分最適が全体最適を実現するという発想。
 しかしインターフェース思想は部分最適のみならず全体最適という観念も否定します。部分最適ではなく全体最適が大切だというならそれも誤りということです。
 最適化という発想をそもそも捨てるべきまたは相手にしないべき。
 政治においても、与野党はそれぞれにとっての公平性を巡り空理空論の応酬をしている。

 インターフェース、面際。
 際面といえば土地区画の境界のことですがその話ではなく面際、インターフェース。

 ネットを含む設計の概念としてUI, user interfaceというものがありますが以下インターフェースをUIと略して記します。

 落合陽一さんがdigital natureという思想を提唱しておられますがそれ風に言うと、万物はUIだといえます。
 人工も天然も、森羅万象の全てはUIなのです。

 例えば犬は犬というUIを実装する存在です。

 必然に、人は人というUIを実装する存在です。

 落合陽一さんはこれからの時代は会社の管理職がUIたるべし時代になると語りますが、管理職だけではなくあらゆる人がUIたり、且つ、人以外のあらゆるものをUIたらしめるべき時代になるでしょう。

 それは単に便利ということだけではなく、寧ろ便利さということに関し「使い勝手の良さ」というような人間中心の発想をなくすことでもあります。

 本当に便利なものは(「本当の」という表現は良くないと思いますが便宜的に。)単に使い勝手が良いというようなものではなく、人間中心的ではありません。
 使い勝手の良さということなら、小田急やJR常磐線と地下鉄千代田線が乗り入れることは或る人々にとっては凄く良いかもしれませんがそれが儲かる話かというとあまりそうではありません。もうやっちゃったものはしようがない、何とか使わないと勿体ないという既成事実主義も匂う例です。
 使わないと勿体ないという発想はしばしば有効活用というような意識高い系用語に言い換えられたりしますがそう考える時点で既に使わなくて勿体ないという現実が見えているので、そこからほぼほぼ何を考えても経済の足を引張る空理空論にしかならないです。経済の根本は新規の開発投資にあるのであり有効活用にはありません、経済という観点が全くないのであれば有効活用にも意味はあり得ますが。

 服なんかも、自分に合う服を選ぶのではなく自分が服に合うようにすることが必要だったりします。
 自分に合う服を選べ着ろという発想はその服に合う自分というものが在るということを前提とするので、もの凄い危険思想です。服を使い勝手としてしか捉えないということなので、SDGsにも反します。

 そして自分を含む森羅万象をプレゼンではなくUIする時代へ。

 大体やね、それでも人口が九百万人もいることの驕りとかいわれるかもしれませんが、三歩先をゆくマグネット神奈川は地域と人をプレゼンする社会ではなく、地域と人をUIする社会を志しています。
 今度の神奈川県知事選挙は、そんな黒岩祐治知事の、本当は四選はあまり良くないかとも思う(細川護煕総理は権不十年と仰せになっていました。でもそういってもいられない現状です。)のですが、未だ途半ばにして代替のない最後の四年を確かにする選挙、即ち日本国民の最後の機会ということで、検討の加速をお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?