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英語の想像力

 作家の大江健三郎さんが3月3日、耳の日に逝去されていたとの報がありました。
 芥川賞を受けた初作『飼育』などの小説のほか『核時代の想像力』などの随筆や報告書により核のない時代への志を訴え、1994年にノーベル文学賞を受け、近年まで脱原発の政治活動にも参加。
 私は『あいまいな日本の私』と『静かな生活』を読んだことがあり、なべて難解な文体を特色とする大江作品群ではその二つはかなり平易で読み易い文体です。他にも老後の備えとして小説などの大江作品等を所蔵してあります。
 「想像力」は大江文学の至上命題です。
 大江さんのノーベル賞の13年後に発足のアメリカのオバマ政権は『核のない時代を』と開口一番に訴え、年内にノーベル平和賞を受けました。
 その点は両者は同志であり、核の抑止力に対し核への抑止力となった存在です。

 大江さんは東京大学フランス文学科の卒で、フランス語と英語を能くされました。他にも何かあるかもしれません。
 私もフランス文学科の卒ですがフランス語は未だほとんど喋れずマクロン大統領などのツイートを読むのがやっとです。英語はかなり平気で喋れますしバイデン大統領などのツイートもほとんど分かりますが新聞を読んでも分からないことが多いです。
 トランプ大統領の頃は日本人が英語を肌で学べるまたとない好機だったはずですが生かされなかったようです。別にトランプそっくりに真似る必要はないですが彼の語りは英語の拍子や音韻が身に着き易い手本です。その近似値を取って自分なりに(彼にはない)品位を付加すれば良いのです。

 よく外語は国語のようには喋れないといわれますがそれは嘘で、外語も国語のようにしか喋れないということが真実です。
 日本人が日本語を身に着けるにはどうしていたかを思い出せば、それを英語や何かにもすればよいのです。
 それが想像力です。
 誰かが日本語を喋っている様とその言葉をいつも思い浮かべていたでしょうし齢を取っている今もそうでしょう。そういう時にはそう言うだろうという想像です。その想像の積み重ねから実際の会話を理解しまたは想像図の修正を重ねてゆく。故に初めに実際があるのではない。実際を媒介として想像力を鍛える。
 まさに今の日本人が失いつつあるのが想像力で、想像のない所には実際の現実は存在しない。故に国が衰退して民心が悪化する。
 トランプ大統領の語り口を一つのtemplateとし、何を言うかを想像してみる。それによりどんなことになるのかを想像してみる。当時を喚いているだけで過ごせるのは英語を十分に話せる人とマスクを必ずする人だけでしょう。
 名言や名演説では言葉を学べない。何でか言うとそこばかりになるからです。なのでケネディ大統領の演説を幾ら読んだり暗誦したりしても論語読みの論語知らずにしかなりません。
 日本語なら岸田総理とか福田康夫総理とかその位の地味な者の言葉が良いでしょう。

 一つ例題を:

 二人の総理大臣が街にいて演説をしています。

 :それを英語にするとどうなりますか?

 ありがちなのは:There are two of the Prime Ministers on a street and they are speaking.

 :不正解です。

 正解は:Two of the Prime Ministers on a street in their speach.

 先ず、’there is’構文はあまり遣うものではありません。
 thereは指示代名詞なので、’There is‘とはそれがどこかが既に言及されているか一目瞭然に分かる場合に遣うものです。
 それをよく日本の英語の指導者は意味上の主語という説明をしますがそういう概念は本場の英文法には多分ありません。
 ビートルズの‘There’s a place’という歌の詞を読むとそれが直感的に悟れるかと思われます。いきなり’There is an apple on a table.’とかはありません。’An apple is on a table there.’でしょう。

 また、’on a street in their speach’のように、前置詞を動詞として用いる場合がよくあります。
 現在進行形がその通りに現にされていることを示すものとして遣われることはあまりなく、現在進行形とは呼びながら多くは近接未来として遣われます。故に「電車が到着します。」は‘The train is arriving at.’が正解で’The train will arrive.’では「電車が到着することになります。」と意味不になってしまいます(が日本の電車は平気でそう喋っています。)。
 前置詞は動詞と一体のもので、その後のどこかなどが付かなくても前置詞が付きます。サッカーの’throw-in’と同じです。全部を言うならthrow into the fieldです。

 二問目:先月にCOVID-19で亡くなった人は神奈川県には三百人いた。

 先ず正解から:Last month Prefecture Kanagawa had three hundred of deceased ones by COVID-19.
 haveはまたはseeでも良いです。

 ありがちな不正解は:There were 300 ones who died by COVID-19 in Kanagawa Prefecture.
 先ず、正確な数値以外の数を算用数字で記すことは日本語としても誤りですが英語は尚更にあり得ないものです。「1億総活躍」には目を疑いましたね。
 正確な数値にも算用数字を用いないことが英語には多いです。
 ‘died’では「死んだ」で、向こうの新聞などはそう記す例が多いですが「亡くなった」は’deceased’です。
 あとまあ、後の祭りに云うのも何ですが日本語における問題として、「新型コロナウィルス感染症」は長たらしくて字数の無駄ですし既に2021年頃には新型と呼べる時期にもありません。また「コロナ」は軽薄で、一応関心あるぞアピールでしかない感じ。何故日本人民は皆と同じように「コビッドじゅうきゅう」と呼ばないのか?それと頭悪いのは「感染予防対策」:予防に対策をしたら予防をしてはいけないということになる。
  ‘Prefecture Kanagawa’, ‘river Tamagawa’などの固有名詞だけではなく一般名詞についても’something good’や’a rub tender’などのように、英語の形容詞は名詞の後に付く場合もよくあります。特に‘Tamagawa River’では意味不なので国土交通省は形容詞的用法としての固有名詞を後に置く表記を採るべきです。

 Whoなどの関係代名詞は本場の英語にもよくあり間違いではありませんがどちらかというと指示代名詞的に先行詞または先行節との間を置いて承けるような形が口語における上手い遣い方で、逆に文語にはなるべく用いないのが上手い文章です。国語の苦手な英語人ほど関係代名詞を多用するようで、which いわば紋切型表現としてis。

 近年の日本や世界を見渡すと、中身の濃い紋切型表現というものが如何に空恐ろしいかという感じがします。想像力がないのでしょう。

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