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2023年はどんな年だったか。

 熊本市役所が当地の在住の外人らと対話する恒例の集会が開かれていることが今年にほぼ初めて全国の話題になり、そこでまた皆様のタイムラインが何コレ迷百景になっているそうです。
 熊本はこれという名物がないけれど何となく豊かで洗練されている地域だと昔から思っています。
 いつの間にか政令指定都市になっていますがそこを通る電車は大都市というには似つかわしくない見窄らしさで、近々やっと廃車になるとの近報もあります。
 有権者ではない外人が市政に参加できるというかの集会は当地の政治的成熟の現れの一つでしょうか。
 処がそこに出た意見をこの二十年来のお馴染みの論調で叩くという野蛮な風景が皆様のタイムラインに現出しているそうです。
 色々と意見があるところ、特に切り取られて注目と袋叩きを見ているのが学校給食には異なる風土の配慮がほしいというのと行政文書の元号表記は分かりにくいので西暦表記にしてほしいという意見でした。
 マスコミがその二つを切り取って報ずるということに先ずは袋叩きを誘う意図が透けて見えます、透けて見えるのはパリコレやミラノコレだけで十分ですが。
 皆さん、そんなことは不可能ですよね、ちゃん。そういう結論に落とし込む目的報道。
 学校給食以前に、二十年ほど前には味の素がイスラム圏のインドネシア向の食品に豚肉を使いかなりの非難を受けた前科が日本にはあります。日本を代表するとされる食品業者がその程度の認識で世界を目指していた、グローバルになってやるぜとかいっていた。
 それが大人の世界だけなら非難や戦争だけで済みますが子供にはかなりの禍根を残しかねない。
 冷徹に見れば、人間は自分がされたことを他者にする虞があります。
 日本人が外国の日本料理の店に来たら、枝豆をゼラチンで混ぜて納豆ですとか云われるようなことにもなりかねない。
 現にアメリカなどにも変な日本料理というものがしばしば出ていますが日本人がいつもそんなことをしているからそんな風にされてしまう。
 そこへ以て来ては、日本には日本の食風土というものがあるのだから郷に従えなどとはいえないでしょう。
 日本に特有と思われている食材が実は日本にだけではなく世界中に普通にあるものなことはかなり多い。最もベタな例は鰯などで、そういうものを主に用いてゆけば無難なのですが今逸りの食育というものが誤解されたり捻じ曲げられたりしているのでしょう。

 そのような排外主義もまた日本だけではなく世界中に普通にあるのですが日本の独特なのは自国の現実の不安に応じてではなく全然平和でも平気で排外主義が出て来ることです。
 近年にしばしば日本は戦争をするのではないかといわれたりしてしますが客観的に見て日本が侵略される虞はほとんどないどころか、負の金利ではありませんが−何%という程の可能性で、経済力や文化を問わなければ極めて平和です。タモリは新しい戦前と語っていますがむしろ新しい戦後(の闇市やら略奪やら不衛生やらが合法的になされている、)というべき状況ではないですか。

 西暦と元号ということについていえば、今は既に電子文書の時代ですし、西暦と元号の換算などは一瞬にして出来るし、少なくとも公文書や上場企業とその連結子会社は両方併記を原則にすれば済む問題です。
 しかし私も今気づきましたが、Microsoft Excel for Japanの表示形式の設定にはどちらかだけの設定はあっても両方併記の設定はない。それが実装されれば換算の必要さえない。何でないのか考えてみれば謎です。何やら白か黒か、右か左かなどというように西暦と元号ということもどちらか一方を不可逆に選ばせるという発想が日本には根強くあるのではないか。そしてそのような発想は(今時に始まることではない昔から慢性的な)国家社会の不可逆的分断を生みます。ロシアと一戦を交えることで結局は提携国のイギリスや延いてはアメリカの信用をも失ってゆくことになった、フランスには一度も信用されたことがないという征露丸の軛です。
 イスラム暦についてもちょろっと検索したりすれば直ぐに分かるのに、それだけのことをしない。そんな簡単なことをもせずに憲法の改正とか深遠で(自分の頭には全然似つかわしくない)難しいことをやりたがる。

 皇紀2683年(平成5年、2023年)も年の瀬を迎えようというこの日々に、阪神タイガースがそろそろ日本一を迎えようとしているのでしょうか(テレビはもう一生ないので分かりません。)、一方にはそんな出来事があったそう。

 私の暦は11月始まりなので、今がお正月。
 新年早々阪神タイガースが日本一になるとはまこと喜ばしい滑り出しです。
 一番のファンは36年来の西武ライオンズですが阪神は二番目に好きです。
 年末年始なので大掃除を始めているところです。
 冒頭の写真のポトフは私暦2024年の元日の夕餉で、豚のみによるポトフです。

 去る2023年はどんな年だったか?

 ざっくりといえば、権力の揺らぎ。

 誰かの権力者の地位が揺らいでいるということもそうですがそれよりも、権力というものそのものが政治学的に、社会学的に、経済学的に、そして科学的に揺らいでいる。それが2023年の風景だったと思うです。

 卑近な例では我が国の岸田文雄君。
 私は岸田政権を与党外から支持しており、元々(安倍の頃。)は岸田君を信用していなかったので現下の岸田降ろしの様相は分かるようなところもなきにしもあらずですが現に岸田君が総理になってからはなかなか感心するところがあり支持するようになりました。
 少なくとも今の日本の情況にあっては、岸田君に代わり得る我が国の相応しい指導者はいません。
 今の我が国とそれを取り巻く情況にあっては、ひたすらに無難さが必要です。
 個々の国民には新しい試みがあっても良いかもしれませんが国としては新しい試みを煽るべきではないのです。
 しかし自分は何も新しい試みをする気はないのに国には新しい試みで現状の打開を求めるような無責任な世論が目に余ります。まさに、国の革命ではなくMy Revolutionをです。

 そして案の定?、麻原彰晃こと松本智津夫を殺した女が現下のパレスチナ情勢でそれなりに意義のある動きをしてくれています(因みに私は死刑制には懐疑的ですがそれについては理解します。)。

 朝潮が意外にもまだそんな齢だったのかと驚くばかりの夭折をした折に、岸田君の日本はGIRI GIRIで土俵際に残ってくれています。

 しかし権力というものの揺らぎは隠しようもなく、核使用もなく目に見えています。

 これまた、日本だけの現象ではありません。

 卑近な例ではバイデン大統領が何かよく分からない状態でいます。

 平成初期のかつては日本の女子高生が日本の総理大臣の名を知らないということがよく話題になりました。
 日本についてそうなら世界については推して知るべしという感じですが、それはやばいのではないかと当時に思っていた私さえ、スナフ?誰やそれ?、その前ももう忘れたわ。ドイツやイタリアの総理など知らんという女子高生的状況になっています。
 平成初期のG7は:ジョンメージャー、フランソワミッテラン、ジュリオアンドレオッチ、ヘルムートコール、細川護煕、ジャンクレチエンとウィリアムジェファーソンクリントンと、すらすらと出て来ます(クレチエンはやや忘却で、検索し直しました。)。
 また、当時は良し悪しはともかく、サダムフセインとか鄧小平とかというその筋のスーパースターもいました。
 権力というものが何やら存在の耐えられない軽さ(渋谷東急で絶賛公開中。)になっているのか?
 そんな中、ビッグモーターやらサントリーやらというお宅の権力者の不祥事が出て来ています。ビッグモーターの社長とサントリーの社長は何か面構えが似ていますね。
 そしてそんな風潮に駄目を押すように、ネタニヤフとかいう頭のおかしい人が絶賛話題中になっています。

 何か知らんけど、権力というものがあまりに軽過ぎる。
 元々帝王学とかリーダーシップ論とかいうものには興味のない私にさえ、権力とはどんだけお手軽なのかと見えてしまう。
 やたらと重荷を負わせることがあってもならないけれど、かつては3.14だった権力というものが今は3になってしまっているような感じ、私は3.14159265358979323846264338327だと思いますが。

 :という、久々にちょっくら筑紫哲也風のobjectionをかましてみました、基本的には今はうちの知事になっている黒岩祐治寄りなのですが。 

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