Main Story - 007 (Case of VALIS)

今日もショウが終わった。
楽屋に戻った彼女達は、ひと言も発さないまま、それぞれの定位置に付く。
チノの場所は窓際だった。
窓枠にもたれかかり、楽屋の中を見る。
誰一人として、何も言わず、動きもしない。
まるで時間が停止したようだった。

(わたし、力使ってないはずだけど)

ぼんやりとそんなことを考える。
“力”を使ったショウのパフォーマンスはどんどんと派手になっていき、それ目当てで来るお客はどんどん増えていった。
彼女達のショウに来る客は以前にも増して熱狂している。
だが、それと反比例して、彼女達は静かに冷めていった。
心を凍り付かせて、ただショウをするだけの自動人形。
それが今のVALISだった。

(これが、ソートの思惑だったのかな……)

もやがかかったような思考の中で、それでもチノは考えていた。
シャッ、シャッ。

(わたし達を完璧な人形に仕立てること……それが、ソートの考えていた、最高のショウなの……?)

深く思考しようとすると、どんどん頭が重くなる。
シャッ、シャッ。

(……なんか……ヘンだ……)

自分の頭も、ソートも。
シャッ、シャッ。
この音も。

「……音?」


重くなった頭を、もたげる。
そこには、ヴィッテの髪を梳く、ミューの姿があった。
ミューと目が合うと、彼女は控えめに微笑んだ。

「髪の毛、手入れしてなかったから」

それもそのはず。最近彼女達はショウが終わると楽屋に戻り、ほぼ無言でしばらく時を過ごし、やがてのそのそと自分の寝床に戻る。
いや、戻っているのか不明なメンバーさえいる。
ヴィッテがそれで、楽屋でそのままつっぷして寝ていることも多かった。
当然、髪の手入れなどしているはずもない。
シャッ、シャッ。
ミューの手が、規則正しくヴィッテの髪を梳く。

「そうか、その音か。どうりで」

懐かしい音だ、とチノは思い出した。
以前はこの楽屋で、よくヴィッテがせがんでミューに髪を梳いてもらっていた。
足をバタバタさせて、ニコニコとして、時にお菓子を頬張っていたヴィッテ。
だが、今は人形のような無表情で、ミューのなすがままにされている。


ミューは片手に持ったブラシで梳きながら、もう片方の手のひらをくるりと回す。
すると、彼女の手のひらの上に、おいしそうなカヌレが現れた。これが彼女の“力”のひとつだ。

「ヴィッテ、好きだったでしょう?」

彼女の口元にそれを持っていく。だが、反応はない。
(まるで人形に差し出す、ままごとみたい)
その行為がなぜか痛ましく感じて、チノは目をそらす。


「いらないなら、食べるわね」

そう言ってミューは自分で生み出したカヌレを口にする。
だが、味はしない。“力”を手に入れてから、彼女の味覚は徐々に失われつつあった。
最初は微妙な味の違いが、そしてついには、一切の味覚が。
まるで砂を食むような感触。

(これじゃもう、お菓子を作ってあげることはできないかな)

すべてを生み出すはずの力を手に入れた彼女は、一番大事なものを失っていた。
シャッ、シャッ。
だから彼女は、いま自分にできる唯一のことを、もくもくと続けた。


「……よくやるわね」

その言葉に、思わずミューの手が止まる。
その言葉を発したララは、気怠げにミューとヴィッテを見つめている。
ミューは困ったような笑みを返し、また髪を梳く作業に戻る。

「まるで、お人形さん遊び」
「ララ」

ララらしくない、皮肉めいた言い方に、思わずチノが抗議の声を上げる。それもまた、チノらしくない行為だった。
あまりにも、らしくなさすぎる。自分も、相手も。
ふたりはお互いに見つめ合い、苦笑とも、諦めともとれる笑みを浮かべた。
シャッ、シャッ。
一定のペースで髪を梳きながら、ミューがふたりに語りかけた。

「わたし、こんなにかわいいお人形さん、買ってもらったことないわ」

一瞬、それがジョークなのか分からなかったふたりは、顔を見合わせた。

「まさか、ミューがそういう冗談を言うとはね」
「あら、わたしは本気よ、チノ」

クスリと笑うミューを見て、チノは思った。

(誰か笑っているのを見たのは、久しぶりだ)

シャッ、シャッ。

「ヴィッテは、何も反応してくれないし、意味が無いって、わかってるのだけれど……クセになっちゃってて。ほら、やらないと自分が気持ち悪いことって、ない?」
「やらないと、気持ち悪いこと、ねぇ……」

ぼーっとした表情で、ミューの言葉をただ繰り返すララ。
シャッ、シャッ。

「……あ、れ? ちょっと待って、今日って何日?」

ララの瞳に、光が戻る。
え? というふたりの声を聞きながら、ララは楽屋に飾ってあるカレンダーを見た。

「ララ、いったいどうしたの?」

様子が変わったララを見て、不安そうにミューが声をかける。
だが、ララはその声を無視して、いきなり立ち上がると。

「バカッ!」
とだけ叫び、楽屋を飛び出していった。

誰もいないステージの上で、ララは一心不乱に踊っていた。
ただがむしゃらに、飛び散る汗も気にせずに。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……まだまだ!」

キュッキュッと靴が鳴る音が響く。
そこに、別の靴の足音が重なった。

「どうしたんだい?」

声をかけてきたチノのほうを見もしないで、ララは吐き捨てるように言った。

「見ればわかるでしょ!」

練習をしていることは、もちろんチノにも分かる。
だが、すでに“力”を手にしている彼女達にとって、地道なレッスンなどは必要ないものであるはずだ。
そんなことをしなくても、たくさんのお客の歓声はもらえるからだ。
その疑問が顔に出ていたのか、ララは今度はチノの顔を見て言った。

「気持ち悪いの!」
「?」
「毎日練習して、身体動かさないと、なまるの! 1日休んだら、取り戻すのに3日はかかる! それなのに、何日もサボって……!」

その言葉は、練習をサボりたがる他メンバーに、ララがいつも言っていたことだった。

「それに、身体を動かさないと気持ちが悪い! それがクセになるぐらい、毎日毎日ずっと練習してた! それなのに!」

ダン! と力強く地団駄を踏んで、拳をぎゅっと握りしめるララ。

「……なんでそんな、大事なこと忘れて……!」

そんな彼女を見て、ふいにチノは理解した。

(あぁ、そうか。さっきバカって言ってたのは、自分自身に対してなんだね)
「ここに来たのは、なんのため……? “力”を手にしたのは、なんのため……?」

うつむいたまま、小さな声で、噛みしめるように言っていたララは、キッと顔を上げ、高らかに吠えた。

「ララは、すべてを奪うためにここに来た! 奪われるためなんかじゃない!」

怒りとも、決意とも取れる表情。強い意思。
それを真正面から受けたチノの瞳にも、光が宿る。

「――それなら」

楽屋に残されたミューは、変わらずヴィッテの髪を梳いていた。
そこに、大きな足音を立ててララが戻ってきた。

「練習!」

楽屋じゅうに響き渡るような声に、机につっぷしたままだったニナは、ビクッとした表情と共に顔を上げる。
一方、部屋の片隅に置かれた椅子に、膝を抱えたまま座ったネフィは、顔を上げもしない。

「練習!! 1日休んだら、取り戻すのに3日はかかる!」

腕を組み、怒り顔のララ。その後ろに立つチノは、いつものすまし顔――ではなく、とても楽しそうな表情をしていた。
それを見て、ミューの目が大きく見開かれ、耳もピンと立つ。
ニナの横に立ち、ララが耳元で怒鳴る。

「ニナ!」
「……そんなことしても、意味ないよ」
「意味なくなんかない! 練習は裏切らない!」
「……意味、ないよ」

その言葉を聞いたララの耳がピンと立つ。

(あ、とても怒ってる。止めないと)

そう思ったチノが動く前に、ララはパチンと指を鳴らした。すると、ララの姿がみるみると小さくなる。

「え?」

そのままララは、ニナの胸元へと飛び込んだ。

「きゃっ! ちょ、やめ……くすぐったい! ララ! 服の中入らないで! ……あはっ、あはははっ!」
「練習するって言うまで、やめないから! うりうりうりうり~!」
「ちょ、あはっ! やっ、そこっ、やだぁ~! わかっ、わかった! する、練習するからー! やめてーー! あはははっ!」

暴れ出したニナを見て顔を見合わせていたチノとミューも、思わず吹き出した。
元の大きさに戻ったララを、ニナが抗議の目で見上げる。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……ひ、ひどいよこんなの~」
「練習するって素直に言わないから」


と、部屋の隅から、

「うっさい」

抱えた膝の間に顔を埋めたまま、ネフィがすべてを拒絶する声色で抗議する。
少しほぐれかけた楽屋の空気が、再び凍り付く。

「あのね……!」

ララが今度はネフィの元に向かおうとしたその瞬間。
どすん、という音と共にネフィが床に尻餅をついた。

「痛った……!」

何が起きたのか、一瞬呆然とするララ。
と、ネフィの横には座ってたはずの椅子を手にしているチノの姿があった。

「時間を止めておいて椅子を引いてしまう……我ながら愉快な“力”の使い方だ」
「あんたねぇ……!」

一瞬チノに抗議の声を上げるネフィ。
だが、次の瞬間には、その気持ちもしぼんだのか。今度は床の上で膝を抱えた。

「……もう、ほっといてよ」
「ほっとかない」

そう答えたのはララだった。

「なんでよ……」
「あんたが、さみしがり屋だから」
「そんなわけ……」
「じゃあなんで、楽屋にずっといるの? ひとりきりになれるところなんて、いくらでもあるのに」
「…………」
「ほっといてよって言うくせに、群れたがる。さみしがり屋」

そこで言葉を一度切ってから、苦笑してララは言った。

「ララとおんなじ」

誰よりも弱さを見せてこなかったララの言葉に、チノも、ミューも、ニナも、そしてネフィも、驚いた。


「……あたしは、違うし」

ネフィはそう言いながら、立ち上がる。

「あたしは、違う。あんた達なんかと、違うんだから……」

そう、とだけララは答えて、手を叩いた。

「さ、練習するよ! もちろんミューも」
「えぇ。あ、でも……」

髪を梳いていたヴィッテを心配そうに見やるミュー。
その肩に、チノの手が置かれる。

「もちろん、ヴィッテも」

そう言いながら、チノはテーブルの上にあったアクセサリーケースから、ブローチをひとつ取りだし、恭しい所作でヴィッテに付けた。
そして鏡を手にし、ヴィッテに見せる。

「お気に入り、だものね」

その様子を見守っていたララが、一瞬痛そうな表情を見せる。

(ひょっとしてヴィッテも、ララと同じように、記憶が……)

だがチノは、力強く言った。
「ここに来てからも、思い出はできた。そして今も、これからも。作り続けるんだ」

そして、ヴィッテの顔をのぞき込んだ。

「だから目を覚まして、ヴィッテ」

何も映していなかったヴィッテの瞳に、チノの姿がくっきりと浮かび上がる。
ヴィッテは何度か瞬いた後、きょとんとした表情で問いかけた。

「チノ……?」
「おはよう、ヴィッテ」
「あれ……ミューもいる。みんなも」
「……ヴィッテ!」

手で顔を覆い、泣き出したミューを撫でるヴィッテ。
その様子を見て、ララだけでなく、ニナやネフィも、安堵の表情を浮かべた。

「ヴィッテ、また君と一緒に踊りたいんだ」

そう言って差し出したチノの手を、ヴィッテはぎゅっと握り返した。

「やー! ヴィッテ、踊るより歌いたい!」

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