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危ない配信者、危険な思想に人が集まるのは何故か

 過激な配信者や活動をする物に人が集まる理由。
それはその人に魅力があるからではなく、大抵の場合は日々感ずる不満を、ストレス解消に使っているだけだろう。

 Vtuberも例外ではなく、極端な話し方をする人物がいたら一歩引いて見ると良い。基本的に危ない活動を出来る人物と言うのは、社会的にもそう高い位置にいる事はない。というかむしろ低い。

 そう言うお方というのは、自分には捨てる社会的地位も無ければ守る物もない。故に捨て身の特攻で活動ができる。捨て身で出来るから注目されやすい過激な活動や、倫理や常識を逸脱した事をする。

 初めは面白半分で注目されるだろう。しかし、その内に反動が来て一瞬にして消えてしまう。

 そう言う人を推すのはよくよく考えた方が良い。それは若ければ若い程そうだろう。不満を抱きやすいこの日常の捌け口として、危険な活動をリスナーとして見るのは良いということがあるだろうか。

 そんな事はない。

 人は普段の生活が習慣となり、習慣が生き方になる。ろくでもない危険な配信者や活動者、強いて言うならVtuberがいたら遠ざける事が賢明だろう。

 さて、危険思想と言うと具体的にどう言うものか。例えばドイツの某独裁者だとか、イタリアだとかもそうではあるが、あまりにも範囲が広くなるので割愛する。

 大衆心理だとか煽動あたりなら掠るかもしれない。

 人というのは不安になると誰かにすがりたいという気持ちが多少ある。もう一つは、皆が見てるから自分も見よう、そしてとりあえず賛成しておこう。
 このタイプの人間が大量に集まり、母数としては大きく見えて、すごそうに見えてしまう。実際は何もすごくない。

 虚言に虚言を重ね、悪質なリーダーは行き先が分からなくなる。初めは何か勢いもすごいが、次第にボロが出て零落するのは火を見るより明らかだ。

 少し考えれば分かるのだが、悪質なリーダーの演説だとか術中にハマると中々抜け出せない。洗脳されている事に本人らが気づくか、飽きるまで愚かにも慕い続けるだろう。

 ただ、若い方もいつまでも若いと言う事はなく、学生から社会人になるに連れて自然と道理や正しい事が分かってくる。

 そしてそれに比例する様に危険な活動者と言うのは淘汰されていくだろう。周りを反面教師として育てたと言う点では、評価しても良いが彼らが脚光を浴びる事はないだろう。

 人生は合わせ鏡のような物で、どんな形になるかは予測も出来ないが必ずした事は返ってくる。それを踏まえた上でどう振る舞うかよくよく考えた方が良い。

 破滅願望でも無い限り。

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