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向こう側の景色

雲ひとつない青空が目に痛い。
秋の空はどこまでも高く澄んで、遠くの方は淡く光っている。

最近、飛行機雲を見ることが減ったような気がする。
以前の様相を取り戻しつつあるとは言え、フライトの数は未だ制限せざるを得ない状況なのだろう。
それとも、私の出不精に拍車がかかっただけだろうか。

私は飛行機を目にするたび、「向こう側」の視点に憑依される。
地上から空を見上げながら、向こう側ーー飛び立った飛行機の窓から見下ろした景色を見ているような感覚になるのだ。

飛行機で海外へ渡ったことは人生で1度しかない。
何度も乗っている人からすれば飛び立つ瞬間にもうそこまで感動はないかもしれないが、私にとってそれは非常に特別な記憶になっている。

ある年、前年度の仕事の成績が上位だったため、運良く賞与としてハワイ旅行のチケットを手にすることができた。
交通費・宿泊費はすべて会社負担という好待遇である。

しかし、この時の私は歩合制のその仕事に完全に行き詰まり、極貧生活を送っている最中で、
観光代も土産代も出せないほど困窮していた。

初めは辞退した。
行っても楽しめないし、そもそも自分は遊んでいい身分じゃない、という罪悪感のようなものに押しつぶされそうだった。

けれど、弱音を吐いた私の背中を、両親や友人が「行きなさい」と優しく押してくれた。
「お金は貸すから。こんな機会この先ないかもしれないんだよ」と。

そして私はハワイ行きの飛行機に乗ることになる。
現地でお金を使うたび、支えてくれた人々の優しさと、その大切さを噛み締めた。

異国の地では誰も私を知らない。
どんな人間で、どんないきさつでここにいるのか、誰も知らないのだ。
人間は、なんてちっぽけでひ弱で、自由な存在なんだろう、と思った。

帰国してからの生活はたしかに苦しかった。
しかし、このハワイで過ごした4日間が、その後の私の価値観に大きな変化をもたらすことになったのだ。

青い空に一本、飛行機雲が線を引く。
それを見上げる私の脳裏には、あの日、苦しい思いをすべて地上に置いて飛び立った、「向こう側」の景色が鮮明に再生されるのである。


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