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ただ作りたいから、作る

「NFT」と呼ばれる、簡単に言えばデジタルのアイテムに対する”所有権”を売買できる仕組みがある。

自分が作ったアート作品を出品できるので、世界に対して自分の作品や世界観を簡単に届けることが可能になった。

NFTの界隈はオタクばかりなので、世界観や作品の持つストーリー性に共感しやすい人間が集まる。

どれだけ無名の作り手であっても、理解のある人間が多く集まる場所に作品を投下できることがNFTの魅力だろう。

僕はこの数週間、そんなNFTの売買サイトのひとつ「OpenSea」に自分の作品をアップロードし、売り出していく作業にハマり倒している。

詳しいことを話すと長くなるので割愛するが、NFT作品は最初無名でも、徐々に人気が上がり当初の何倍もの値段でオークションにかけられたりする。そんな夢がある。

自分の作品が何万円という価格で取引される日が来るかもしれないのだ。

ーーしかし、ここ最近の自分をここまでNFTに駆り立たせているのは「高額で売れる可能性があるから」だけではないだろう。

他でもない、”作りたい、という気持ちを受け止めてくれる場所がある”ことが何よりも大きい。

人が夢を追うことは苦しい。失敗してしまうことを恐れるから。
それと同じように”やりたいから、やる”ことも難しい。そんなことをしても無意味だったと思うことが怖いから。

勝算も賞賛もなしに、自分のエゴを貫き通すことは難しい。

自分の中の「やりたい」に理由をつけて封印をした人には、おそらく”自分のやりたいことをやっている他者”は疎ましく見える。

彼らの情熱を否定しなければ、自分が過去に描いた夢が放つあまりの眩しさに目を焼かれそうになるからだ。

その否定の声は世界中から集まり、時に受け手を死に追いやる。

「やりたいから、やる」はあまりに美しく、あまりに残酷なものなのだ。

だが、重要なのは結果ではないし、ましてや自己啓発本がよく言う”プロセス”でもない。

結果のない努力は虚しく、無駄だ。
だが、何かを続けることに無意味さを見出している人は、”結果”の定義が狭すぎる。

本気で物を作って、本気で物を売って、一円にもならなかったとしても、その経緯で得た知見を使って別の仕事を作り出したり、業界内でポジションを取ることに成功すれば、それは立派な成果だ。

ただ作りたいから、作ればいい。
その過程を使って幅広い意味での”結果”を残す。

そうすれば、他人を否定する暇もないほど充実した日々になる。

執筆アキト


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