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2023/02/28 田中慧日記 #5

今日で2月が終わってしまう。2月はあっという間だった。長野から帰ってきてからの茨城の生活。僕は茨城にも戻る前に写真集をたくさん読んでいた。そして写真を撮っていた。写真が好きだということ、写真を撮るコミュニケーションが好きなこと写真の刹那的で、けど記録としての残るのが自分にはあっていたんだと思う。どんな写真なのかと言われると様々だ。いわゆるカメラマン・フォトグラファーになるのではなく、写真家に憧れていた。だから写真家がどんなふうに世界を捉え、どんな態度で被写体や世界に臨んでいるのかを知りたくて、感じたくて、写真集を闇雲に読んでいた。とても楽しかった。が、茨城に戻ってから写真をあまり撮らなくなっていた。最初は非日常というか久しぶりの実家がとても愛おしくて、写真を撮っていた。いや撮らされていたのかもしれない。窓から入る太陽の光、水道から落ちる水滴の音、2匹の可愛い猫たち、マザー&ファザー。実家を離れていたから、今まで日常と思っていたことが、非日常になったのだ。そんな私にとって当たり前じゃないもの、有難いことを気ままに写真に収めていた。ただ時間が経つにつれて当たり前になっているなと今日思った。なぜなら写真をあまり撮らなくなったからである。他に興味が移ったのもある。カメラを常に持ち歩かなくなったからである。ただそれ以上に僕にとっての境界をまたぐ、すなわち越境・移動は写真衝動を駆り立てるものだと感じた。新しい発見が乏しくなってきているからである。一方で、家の中で、家の近くで、様々なレイヤーで世界を認識して、それを表現している人もたくさんいる。だから僕は自分がいる環境に色々な興味や感心、問いや気づきを得て、面白く生きたい。それを表現する上で写真は僕にとっての相棒だ。だから3月は相棒を常に持ち歩くような生活をしたい。2月のふりかえりはまた今度だ。だって、後ろには葵がいるから。だから思いついたことを書いて、早く映画を見ようと思う。今日は色々な事務手続きを終えてから、瀬田と会った。というか2時間しか寝てないんだけど、大分ハイな感じになっていた。瀬田とはとても会うのを楽しみにしていた。瀬田の話を聞いた。彼は沢山戦ってきた。私が想像できないような世界や社会で戦っていた。瀬田は心の優しい、義理に、人情に熱い奴だ。自分が大変だったんだ、苦しかったんだ、あいつが悪いんだ、みたいな話が全然で出てこない。可愛い後輩の話や他の人の話ばかりしている。彼は自分もそうだけど、周りが大切なんだ。それと同時に今の現状を生んでいる自分に自責の念や後悔、情けなさ、ある種の諦めに近い感情を受け取った。こんなにいいやつで、瀬田が活き活きとできる場所が、この社会にこの世界にないはずがない。ないなら一緒に作りたいとさえ思った。だから瀬田とは一緒に何かを作り出す、適当な関係の、でも助け合う、そんな間柄でいたい。一緒に勉強して、このゲームを面白い方法でクリアしたい。ほら、俺と瀬田ってゲーム好きじゃん。この世の中、ゲーム感覚でやろうぜ。いやあ現実ちゃんと見ないとな。わかるわかる。だけどさ、自分をもう一人の自分が操縦している感じでさ、ちゃんとコントローラー持ってさ、考えて少しずつ攻略していこうぜ。攻略本はどうらや、市販であまり売ってないらしいじゃん。一部の人にしか、それ貰えないらしい。不平等だけどさ、攻略本読んで最初からクリアするのつまらなくね?最初は爽快感あるけどさ、2周目や3周目とか多分ちょー退屈になるよ。だから俺らは攻略本なしで自力で頑張ろうって思った。何書いてるのかわからんけど、そんなことを思ったよ。イージーなことはないけどさ、楽しんで行こうよ。俺も不安な気持ちもあるけど、やっちゃうよ。今日は時間を作ってくれて本当にありがとう。その後は葵!だけどこれから葵と映画を見るから、日記はこの辺で。明日2日間まとめたこと書こうかなあ。今日も1日お疲れ様でした!

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