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2022/02/25 田中慧日記 #2

今日はなんだか、全身がだるかった。なんでかなあと思ったのだけど、昨日3回目のワクチンを接種したからなのか、それか単純に寝違えただけかもしれないけどそのどちらか、あるいはどちらもなのだと思う。今更ながら、ワクチン3回目を接種したのは、海外に行くことと宿泊割を受けれないのが悔しかったから。ただなんだかよく分からないワクチンを接種して自分の身体先々で大丈夫なのか心配だったのだけど、直感を無視してワクチンを打ってしまった。厚生労働省のサイトを見るやいなや、ワクチンを打てば重篤になる可能性が低くなる一方で、僕のような若者が打つ必要性があるのか?もうやってしまったのだから仕方がない。自分の免疫力を高めることを心がけていきたいと思う。だから今日は身体が本当にだるくて、朝起きてから、母の作ったオムライスを食べて、オムライスがちなみにとても美味しかった、また寝てしまった。その後、芥川龍之介全集を読んでいた。今日は「羅生門」と「鼻」である。羅生門では、仕事をなくした下人が主人公。「どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。」と下人は思っていて、盗人になるしかないと思っているが、その勇気はなかった。ただ老婆とのやりとりの中で、悪事を肯定する論理(生きるためには仕方のないこと)を見出して、悪に身を委ねることになった。この下人は誰なのだろうか。下人は僕であるのかもしれない。こんな下人のエゴは、僕も持ち合わせているのだと思う。自分が生き延びるためには仕方のないことだ、と無意識にも、意識的にもやっているのではないのだろうか。ユニクロで安く服を着れている背景には、バングラデッシュなどでの労働は仕方のないことだ。自分達が豊かに暮らせる一方で、地球がどんどん汚れていく、破壊されていく。仕方のないことだ。そうなってはいないだろうか。知らずに加担している可能性もある。匿名化されたシステムの中で生きている私たちは、無意識に加担しているのだと思う。だから、私は学び、そのエゴと向き合っていく必要性があるのだ。自分のエゴで、なんでも肯定されてしまうことへ、NOを表明できるように。芥川の人間への醜さや闇、非情さなどを描いた作品にはそのメッセージがあるのだと思うのだ。文学とか全然興味なかったけど、これから読んでいこうと思う。その後は、坂口恭平さんの誰でもできるギター講座をみて数年ぶりにギターを練習してみた。お勉強的な感じではなく、音を楽しむ如く演奏している坂口恭平さんの姿を見て、誰かの曲を弾くのではなく、自分の内なる声をギターや自分の身体で奏でられるようになりたいと思った。だからこれからギターを弾いていこうと思う。適当に、毎日弾こうと思った。時間とか、目標とかは決めずにね。奏でよう。もっと。

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