辻村深月さん 「傲慢と善良」を読んで
先月にある友人に「それは傲慢じゃないかな?」という言葉を言われて、
頭の中が「傲慢」という言葉で一杯になった。
そんな中で、違う友人が辻村深月さんの「傲慢と善良」を読んだというInstagramのストーリーがふとした時に目についた。辻村深月さんのことは知っていたのだが、実際に本を手に取ることがなくどんな作風なのかも分らないが試しに読んでみた。
読んでみて思ったのは、
ストーリーとしての面白さというよりも、その過程での心理描写や登場人物の一言一言に刺さりすぎて、何度も息が詰まった。
臭いものに蓋をしていた。その壺をどこか目に届かないところに置いていて、存在すら忘れていた。そんな壺の蓋を目の前で開けられたような衝撃があった。
架が婚約者である真実の行方の手掛かりを探すべく、彼女の地元である群馬県前橋市に向かい出会った結婚相談所を営む女性の小野里。この2人の会話がとにかく自分は刺さった。
婚活がうまくいく人といかない人の差って、なんですか?という架の質問に対しての、
これは結婚だけではなくて、就職活動なんかでもいえるのだろう。
今まさに転職活動をしている最中なので、改めて自分には刺さった。
この言葉は、まさに自分のことを的確に言い当てられてしまった、というような感覚だった。けど自分への自己評価はに対して低いが、限りなく理想めいた幻想を持っている自分がいる。けれど、そこへ向かう歩を進めるのに自己愛の作用があまりにも強く、不都合な現実へと導いているという実感があるからだ。
そして続けて小野里は、現代の結婚がうまくいかないのは『傲慢さと善良さ」であるのでは、という仮説を続けてこう語っていた。
架の「ー婚活につきまとう、『ピンとこない』って、あれ、何なのでしょうね?」という別れ際の問いかけに対して小野里の言葉。
架が「傲慢さ」の言葉が、改めて自分に突き刺さったように、僕も「傲慢さ」という言葉に串刺しにされた気分だった。
僕は本当に傲慢な一面を確かに孕んでいる。
そして真実のような善良さもとっても共感する。どちらも自分の中を否応なしに渦巻いている。
自分自身への卑屈に評価するわけでも、特別視する訳でもなく、今の現(うつつ)を受け止めようと思った。今の俺、こんなもんだ、と。
まずはそこからな気がしたし、なんだか楽になった気がした。
全然大したことないし、特別でもなければ、普通とかでもない。今の現実全てが今の僕。
良い、悪いではなく、
未来のこととかそんなの不確かなもの捨てて、今目の前にあることや人間関係を直向きにやろう。
自分のセルフイメージへの脱却を今回の転職活動でできたら御の字だ、とこの小説を読んで思いました。センチメンタルな自己愛を放り投げて、肩の力を抜いて正直でいられる回数をこれから増やしていこうと思います。
2024/02/10
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