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【251日目】山中新六の母

ご隠居からのメール:【山中新六の母】

●『尼子姫十勇士』では、尼子スセリ姫と鹿之助との間には子は生まれていない。
●松本清張『山中鹿之助』では、知和正人の遺児・小菊や隠岐清家の姪・潮姫との子はない。
●南原幹雄『名将山中鹿之助』では、尼子勝久の姉・美保姫が新六を生んだ。
●依田武勝『山中鹿之助』では、亀井秀綱の娘・千明が嫁し、新六を生んだ。
●池波正太郎『英雄にっぽん』では、亀井秀綱の娘・千明が嫁し、八重と新六を生んだことになっている。


こんどは山中鹿之助の嫡子で、豪商・鴻池の始祖といわれる山中新六の母は誰かを調べてみよう。父親の鹿之助ばかりが有名で、母親の名前が世に伝えられていないというのでは女性活躍時代とはいえない。

したがって、山中新六の母が誰かは決定的な証拠はないが、おそらく尼子勝久の姉・美保姫か亀井秀綱の娘・千明が生んだのだろうと思う。鹿之助は幼少期に尼子の重臣・亀井秀綱の養子になったことがあるから、千明の可能性が高い。

美保姫あるいは千明が生んだ新六は摂津国(現:大阪と兵庫)鴻池村こうのいけむらにある山中信直(鹿之助の叔父)の屋敷で育てられた。

なお、政久、国久、興久という尼子三兄弟のうち、われわれにDNAを伝えている可能性が大きいのは影法師の興久か。そのDNAは松田氏経由、一方、伯耆井上氏経由ーーよくわからないが、どちらも、たたかれ強い一族の末裔とはいえるね。


返信:【Re_山中新六の母】

鴻池家が商人として発展していった理由に、亀井家に支えてもらったと考えると合点がいく。亀井秀綱の子は、亀井茲矩これのりの正室になっているようだから、山中新六にとって亀井茲矩は伯父さんということになる。

尼子氏が滅亡したのは、山名氏同様に内輪もめのような気がしてならないが、山中鹿之助や亀井氏、我々の家に伝わる「尼子の落人」という家訓含めて、これほど多くの人が忠義を尽くす存在だったというのも興味深い。あの頃の中国地方の影響力は、佐々木氏→山名氏→大内氏→尼子氏→毛利氏と力関係が変わっているのでね。

長谷部元信は毛利氏と一緒に一族が守ってきた宮島の厳島で陶氏と戦い、大内氏の仇をとった。長谷部元信の腹違いの兄である長谷部信澄、もしくはその子供である信重か吉連が尼子再興軍に参戦した可能性があるということになるのだろうか。京極氏、塩冶氏(尼子氏)のDNAをもつ長谷部氏と松田氏が婚姻関係を結び、長牛之助が生まれたというのはそれほどおかしな推理ではないね。

本日も「ノモンハンに至るまで」を掲載するので、おかしなところがあったら、教えてください。こんかいは、ロシア(ソ連)の歴史なので、少々不安が残る。

戦国時代や日清・日露戦争、太平洋戦争から、日本人は逃れられない宿命だった。それぞれが、生き残るために命をかけて決断を重ねてきたわけだから、内輪もめの起きた尼子氏と、三本の矢として長兄が弟たちに頭を下げた毛利氏では、後者が評価されている。

アメリカに原子爆弾を落とされる結果に導いた「統制派」や「艦隊派」は非難され、日清、日露戦争勝利に導いた、乃木大将と東郷司令長官は神格化され、神社までできた。長谷部信連も勝者だから神格化され、神社がある。ソビエト連合の「赤軍」は武力戦争で勝利を収めることができたが、経済戦争では敗北した。

全部結果論。「勝てば官軍負ければ賊軍」ということになるけど、人が人の上にたつ限り、貧しく生活に我慢できなくなると革命が起こり、武力を使って人を制圧した勝者の都合の良い仕組みが出来上がる。人類の歴史は、その繰り返しだね。

まさに、ミャンマーやアフガニスタンはそのような状況に思える。どうなれば良いのかは、義を大志に抱く人に考えてもらわないといけないけど、とにかく、民主主義が進化していくことを願うよ。

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