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【63日目】新年のごあいさつ

ご隠居からのメール【新年のごあいさつ】

書簡006を送る。これからが昭和十五年だ。日中戦争勃発から四年目だが、太平洋戦争勃発は一年後に迫っている。すでに砂糖やマッチなど日常生活に必要な物資が不足しかけていたという状況が書簡からもうかがえる。

差出人の名前は貴美子だが、これは通称で、戸籍上はたしかに貴美だ。

結婚式は高瀬の家で行われ、三日三晩飲めや歌えやの大騒ぎだったそうだ。酒の量は九升どころではなかったと思う。「こちらの人はよくのむ」とあるが、「高瀬の人がよくのむ」という意味でもあるだろう。

伝蔵さんの除籍の記載は戸籍にはないが、昭和三十年代の半ばに興譲館中学
から東洋大学に進んでいる。中学生になる前に結婚するとは思えない。許嫁
(いいなづけ)ではあったかもしれない。学資はおそらく松田善太郎さんが援助してくれたのだろう。

明治時代のあの頃、高瀬から大学へ進学するような人物は他にいないが、松田氏は先進的に教育熱心な家だったらしい。大正時代になると、こんどは長谷部氏でも與一さんが父親を説得して日野農林高校から鳥取高専に進学し、まじめな勉強ぶりで下宿先の磯尾のおばさん(岡村はるさんの妹)に気に入られた。

山室軍平は救世軍のウイリアム・ブース大将が来日し、大正天皇と謁見した
とき、通訳をつとめた。岡村素さんも京都大学の事務局長という経歴があり、救世軍の中でも重きをなしていたと想像されるので、娘の結婚相手のことで出身地が近い山室軍平に相談した可能性は十分にあると思う。

その後の昭和史の悲劇は知っての通りだ。わが家も悲劇の渦中にあって、影
響をもろに受けたということがよくわかる。


返信:【Re_新年のごあいさつ】

伝蔵さんと津弥さんの件。勘違いしていた。津弥さんが長谷部家に養女とし
て入籍したのが5歳の頃だね。理解しました。

伝蔵さんの経歴はどこかに根拠があるのかね? 昭和30年代中頃に大学進学
だと伝蔵さん、40歳超えているから。

戸籍に記載のある「入籍」の記載だが、喜代太郎さんの結婚2回疑惑も違うかもしれない。一度目の「入籍」が、長谷部家への養子として「入籍」と捉えてよい気がする。

祝言は、高瀬でやったのか。昭和10年だと友次郎さんもご存命のようなので
盛り上がったでしょう。自分の酒好き、大酒のみも、長谷部家の血だね。輿一さんは、この頃のお仕事は何だったのだろう。役所と書いてあったが転勤が本当に多い。

〇満州国が設立した1932年(昭和7年)
〇日中戦争が1937年(昭和12年) 

結婚後、昭和10年から昭和14年まで哈爾濱ハルピンで生活して昭和14年11月には大同に転勤したということだね。手紙の内容をみると、貴美子さんは長期の海外生活に心労が溜まっている様子が見える。

現代でも馴染みない土地に行ったらストレスは同じなんだろうけど、戦時中となるとまた違うストレスもあったのだろうね。でも、家族を大切にする、良いお祖母ちゃんだ。

素さんは、京都大学の事務局長をしていたの? 早稲田大学卒業後、大学の事務局をしていたのか。とても賢い方だったんだね。


本投稿には、昭和十四年〜十五年にご隠居さまの母であり、自分の祖母である長谷部貴美子さんが、満州国哈爾濱及び中国張家口から京都在住の母との手紙のやり取りを現代語に訳した内容を掲載しておりますが、この「note」掲載の本来の目的は、あくまで、子孫たちへファミリーヒストリーを伝えるための記録として利用させていただいております。手紙の内容は、ご本人のプライバシーを考慮して閲覧制限させていただきますことをご了承いただけますと幸いです。


書簡集(※題名は筆者が命名)

● 書簡001_令和三年(2021年)二月:喜久子(享年102歳)永眠の知らせ
⇒塩田雅子(喜久子:娘)からご隠居(貴美子:息子)への手紙
● 書簡002_令和三年(2021年)二月:叔母様(貴美子)の手紙を送ります
⇒塩田雅子からご隠居への手紙
● 書簡003_昭和十四年(1939年)十一月十六日:新天地到着のご報告
⇒長谷部貴美子(ご隠居:母)から岡村はる(ご隠居:祖母)への手紙
● 書簡004_昭和十四年(1939年)十一月二十日:哈爾濱での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡005_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大豆の研究について
⇒長谷部輿一(ご隠居:父)から岡村素(ご隠居:祖父)への手紙
● 書簡006_昭和十五年(1940年)一月六日:新年のごあいさつ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙

● 書簡007_昭和十五年(1940年)二月一日:幸せな新婚生活
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子(貴美子:妹)への手紙
● 書簡008_昭和十五年(1940年)五月二十七日:悲しみの訃報
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡009_昭和十五年(1940年)六月二十日:日本に帰りたい
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡010_昭和十五年(1940年)六月:里帰り出産
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡011_昭和十五年(1940年)七月:もうすぐ帰ります
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡012_昭和十五年(1940年)八月九日:帰郷中止のお知らせ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡013_昭和十五年(1940年)九月一日:張家口での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡014_昭和十四年(1940年)十二月:結婚のお祝い
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子への手紙


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