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【349日目】:佐々木氏か山名氏か

ご隠居からのメール:【佐々木氏か山名氏か】

佐々木氏か山名氏かーーどちらも我が家からみると、まったく縁のない家系のような印象を受けるが、中世の歴史を調べているうちに、他生の縁があることがわかった。

佐々木氏は、宇多源氏の佐々木氏の一流で、京極氏、六角氏、大原氏、高島氏、塩冶氏、尼子氏なども佐々木氏の流れだ。尼子氏は、尼子経久の時代に、下剋上で出雲守護代から出雲守護になり、山陰地方十一ヶ国太守になりあがった。

一方、山名氏は 現在の群馬県高崎市山名町周辺を発祥の地とする清和源氏新田氏の流れで、伯耆、因幡、備後など日本66国のうち11国の守護職となり六分一殿と呼ばれるほどの大大名だった。

佐々木京極氏と山名氏とはともに室町幕府では三管領につぐ四職の地位についていたが、南北朝時代においては出雲・隠岐の守護職をめぐって互いに競い合う仇敵の関係にあった。時代の推移による変動はあるが、どちらかというと、佐々木氏は北朝側、山名氏は南朝側で戦っていたようだ。

では、我が家のご先祖である長谷部氏は佐々木氏と山名氏のどちらに肩入れしていたのだろうか。系図をみると、長谷部氏の女が佐々木京極氏にも山名氏にも正室か側室か妾になっている。両氏とも母方を通じて、DNAがわれわれに伝わっていると思う。


返信:【Re_佐々木氏か山名氏か】

時代を振り返ると、岡山県神郷町高瀬周辺の地に、ご先祖様の居住の地があったことが、大きな運命だったとおもう。それは、日本の中心が、鎌倉から京都室町に変化したことが大きな要因だ。京都に近い、分国の領地が戦地となるのは、必然だったと思う。

伯耆と出雲、備後と備中の最果ての地が、ご先祖様たちの住んでいた土地だ。この領地の奪い合いをしていたのが、佐々木氏と山名氏となる。もともと、長谷部信連のぶつらという御家人の血筋を武器に、勢力を保っていたご先祖様だが、佐々木氏か山名氏、はたまた大内氏の傘下に入らないと生きていけなかった。そういう、時代だったと思う。

ただ、どちらについても、痛い目にあってしまった。憂いていた時期もあったとは思うが、結果的には、一族の多くの人が戦って命を落とした。そのなかの生き残りが、自分に命をつないでくれたわけだから、これは、本当に奇跡だね。

ファミリーヒストリーも成功の時期ばかりではない。どちらかというと、困難な時期、七難八苦の方が多いのではないかと思ってしまう。それは、現代を生きるじぶんの人生でも同じこと。だからこそ、どう生きるかということが重要だ。じぶんを大切にして、前向きな時間で埋め尽くすことが正しいと思う。


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