見出し画像

【55日目】金鵄勲章

ご隠居からのメール:【金鵄勲章】

見田守登さん(旧姓:大原_明治三十五年七月三〇日生)の資料が見つかった。大原喜太郎氏の三男だから津弥さんの弟になる。

海兵団に現役志願兵として入団、戦艦「陸奥」などに乗船した。ミッドウェー海船では前線指揮官として奮戦するも昭和十七年八月三十一日ニューギニアで壮烈な戦死をとげた。二十七歳。数々の戦功に対して、功六級の金鵄勲章を授与された。顔写真を見ると、尼子の落人の若武者のような英雄のようだ。まだ若いのに六人の子供が残された。この資料は四女悦子さんから貰ったものである。

守登さんを見田家の養子にするにあたってはイシさんの口利きがあったと推測される。何しろ養女津弥さんの義母だから発言権が強い。気の強そうな女性で、読み書きはできないが、カリスマ的権威があった。子宝には恵まれなかったが、長谷部家を支えたのは自分だという自負を抱いていたような印象がある。

喜代太郎さんの謎では、やはり弥左衛門さんに実子がいるのになぜ養子を後継者にしたのかが最大の謎だ。友次郎さんを生んだ「なかさん」がいつ死亡したのかについても戸籍の記載がない。喜代太郎さんと伊曽さんの入籍と5年の差があることも謎だが、もしかしたら喜代太郎さんには前妻がいて、息子が生まれ、その息子が分家して信谷氏を名乗ったのだろうと推察することもできる。

ゆみ子さんは三人の息子を生んでいる。分家のおじさんの家によく帰って、親孝行をしていたのは次女の幸子さんのほうで、その息子たちとJは遊んでいた。二人の息子は頭がよく、兄は中央大学を出て出版社勤務、弟は中学校か高校の英語教師をしている。長男の勝巳さんは神戸生協に勤めていた。三人の娘がいたが、息子はいない。一級下の信谷清巳さんとは今も仲良くつきあっている。

尼子の落人の末裔である松田氏からは金鵄勲章を授けられた見田守登さんと宗教家の松田伝蔵さんが生まれたが。二人の生き方は対照的だ。


返信:【Re_金鵄勲章】

太平洋戦争で多くの親族が犠牲になっているね。犠牲者は、菊二おじさん、守登おじさん。これで、ふたりめ。ただ、二人とも子孫を残すことができてよかった。

大原家は見田家や長谷部家に養子をだして大変だね。でも、養子に出しても大丈夫なくらい子宝に恵まれていたということか。大原家の先祖が「尼子」につながるのであれば、大原家を調べる必要がありそうだ。

喜代太郎さんに息子がいて信谷の分家になるのは、少々無理がある気もするけど、子供がいたとしたら、友次郎さんと同級か少し年上くらいだから長谷部の家に住まない限り生きていけない。財産を分けてもらうくらいの影響力が必要なのは喜代太郎さんが41歳で当主になったときかな。


話は変わるが、八墓村作者の「横溝さん」義理の母(後妻)が福田家みたいだよ。左トさん、喜代太郎さんとつながるかな。まぁ、地理的には遠いけど。。

※参考資料「横溝正史クロニクル  - 年譜&年代順作品リスト -」


<<<次回のメール【56日目】死者たち

前回の話【より道‐18】随筆_辰五郎と方谷⑦‐⑨>>>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?