【324日目】:出ないものは出ない
ご隠居からのメール:【出ないものは出ない】
身体というシステムは、入力(インプット)と出力(アウトプット)、呼気と吸気、摂取と排泄がセットになっている。入院中は、夜間によく尿意を催したが、一人ではトイレにもいけない。
そんなことでその都度、看護師を呼ぶのも気の毒なので、なるべくガマンするのだが、生理現象なので、ガマンには限界がある。なぜ頻尿になるか、理由はわからない。
昨年十月の定期健康診断では、PSA(前立腺特異抗原)が6.15に上昇していたが、この程度なら前立腺ガンではなく、前立腺肥大のレベルだから、心配はないとクリニックの医師は言った。
便通に関しては、正月早々、入院をはさんで約十日間、便秘が続いた。医師の判断で、下剤の酸化マグネシウム錠330㎎を服用するようになってからは、ほぼ四日に一度は便通がある。
排泄は理性によるコントロールが難しい。単純に考えれば、食品摂取量30%削減すれば、排泄量も30%減になるはずだが、人間の身体はそれほど単純なシステムではなさそうだ。
それでも、一応の目安として、私の場合、便通は三日に一度、排尿は三時間の一度をメドとしている。できれば、二日に一度、あるいは毎日の便通が望ましいが、出ないものは出ない。
<中世太平記>
近江守護職の歴史で、「1489年‐1490年:六角高瀬」
とは、いかにも由緒ありそうな地名だね。琵琶湖畔から宍道湖畔へ移ったところまでは既視感でなんとか想像できるが、八つ墓村には高い瀬なんかない。なぜあんな山中の村を高瀬村と改称したのだろうか。地名としては吉野村のほうが土地の雰囲気になじみやすい。
ご隠居からのメール:【Re_出ないものは出ない】
六角高頼のことを六角高瀬と、自分が勘違いしていたよ。全然違った。六角高瀬ではなく正しくは六角高頼だ。
調べてみると、1487年(長享元年)、近江にある諸寺社や公家の荘園を横領し、それを返還するようにとの幕府の命令にもそむいたので、九代将軍・足利義尚が六角高頼の討伐に出征している。足利義尚は日野富子が腹を痛めて生んだ息子で、無理をして将軍の座につけられたが、陣中で病死してしまった。
父親の八代将軍・足利義政は、
埋木の 朽ちはつべきは 残りいて 若枝の花の 散るぞ悲しき
と、詠み、母親の富子とともに、二十五歳の息子の早逝を嘆いた。
それはともかくとして、大原氏と米原氏の関係はあると思うけどな。今度「米原市史」を読みにいかなければいけない。六角高頼には、何人か息子がいるのだが、そのなかに六角定頼と大原高保という子がいたそうだ。
そして、米原氏の始祖は、六角定頼の甥にあたる六角治綱が六角定頼の養子に入り、近江国米原郷を領して米原氏を称するようになったという。米原治綱は尼子経久に仕えて軍功をたてたという。
つまり、大原高保の息子が米原氏の始祖となったのではないかというのが、自分の予想だよ。あくまでも、こちら都合の予想だが辻褄があう。そう考えると米原氏一族に大原氏がいるのは必然。キーマンは、米原治綱だな。
佐々木氏、京極氏の氏を変える戦略は本当にややこしいが、この戦略のおかげで、生き延びた。この米原氏(大原氏)と長谷部氏がどこかで交わるはずだ。
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