【319日目】:冬季五輪閉幕
ご隠居からのメール:【冬季五輪閉幕】
冬季五輪北京オリンピック閉幕。私は蜃気楼のような幻の国、満州の哈爾濱で生まれ、大同を経て、五輪開催地の張家口で幼年時代を過ごした。張家口は、私の幻のような故郷だが、うっすらとした記憶も残っている。
万里の長城でションベンすればゴビの砂漠に虹が立つ
という歌も思い出した。学生時代に覚えた歌だ。昔は、大陸に雄飛して、張作霖のような馬賊と冒険してみたいというロマンチックな夢を見ていたのか。それとも、日本人だけが特権的な地位を与えられる王道楽土を夢見ていたのか。若気の至りとはいえ、いい気なものである。
今回の五輪で印象深かったのは、性的マイノリティの選手たちが勇気をもって、「ありのままに生きる」と公表したこと、ロシアの十五歳少女ワリエフ選手のドーピング疑惑が明るみに出たこと。私も入院して、ステロイド投与を受け、命拾いしたが、もしかすると、ステロイドはドーピングのようなものではないだろうか。それを投与されて延命をはかるのは、「ありのままに生きる」こと(自然治癒→自然死が理想)と矛盾するのではないか。
<中世太平記>
長谷部信連の先祖が二系列、清和源氏説と桓武平氏説があるという謎ーーそして、三浦氏と北条氏が桓武平氏という謎、そして佐々木氏や足利氏や京極氏は清和源氏の系統ーーこれらの事実も吟味に値する面白い材料だね。
司馬遼太郎『義経』の再読をはじめたのは、佐々木氏のことを調べるためだ。すると、「蛭ヶ小島」の配所にいる時から傍らにいた敬慕者たちの中に佐々木太郎定綱がいる。
伊東祐親が刺客団を送った時、頼朝は退避していたが、配所には、佐々木定綱がのこり、いかにも頼朝があるように読経の声をあげ、鉦(かね)をたたきつづけた。定綱は伊東の郎党がふみこんでくれば、頼朝の身代わりになるつもりだった。
佐々木氏は宇多源氏であり、近江源氏だが、何故、頼朝の配所である伊豆にいたのか。
山木ノ判官を襲撃する治承四年八月十七日の前日の夜、一味同腹の者の集合日としてかたく約束していた。一味同腹といっても北条氏のほかはまとまった集団ではなく、いわば個人参加者にすぎない。そのなかにあって頼朝がたのみにしていた闘技の持ち主といえば佐々木兄弟ぐらいのものであった。定綱、経高、盛綱、高綱である。(三浦氏は最初のうちは日和見)。
ちなみにかれらの荘園であった佐々木ノ荘は近江の琵琶湖東岸にあり、代々ここを本貫とした。ところが兄弟の父秀義は平治ノ乱で義朝に味方し、敗北とともに奥州藤原氏にたよるべく東へ奔った。
途中、相模に入り、渋谷(神奈川県藤沢市内)に巨大な地所をもつ渋谷ノ庄司重国に宿を頼んだところ、「いっそ、わが館に住んではどうか」といってくれた。以後、父子ぐるみの食客として二十年すごしてきたが、秀義は源家への旧義をわすれず、その子供たちを伊豆の配所にやっては、頼朝の身辺の世話をさせていた。
この秀義が、例の歯抜け爺さんか?三谷幸喜『鎌倉殿の十三人』は浦安図書館からの借り出しをリクエストしたけど、先行予約者が多いので、当分は順番がまわってこず、今すぐには確認がとれない。
頼朝と政子との夫婦仲はどうだったか。政子は嫉妬深いうえに、その嫉妬心が核になっている思想家ーーとしかよびようがない、と司馬遼太郎は書いている。さすがのストーリーテリング巧者は表現がうまいねぇ。
返信:【Re_冬季五輪閉幕】
佐々木秀義が、例の歯抜け爺さんだね。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも登場しているが、ひとつ違う角度での観かたができるので楽しいね。
室町時代は、鎌倉時代の延長にあるということを、今回のファミリーヒストリーで学ぶことができた。「源平合戦」で勝利した源頼朝は、「文治の勅許」、すなわち守護職を指名できる権利を得たことで武家政権を確立したんだね。
それでも実態は、鎌倉幕府が主に東日本一帯を制していて、西日本一帯は朝廷が制していたようだ。「承久の乱」で後鳥羽天皇が朝廷への政権復権、討幕を企てたことで鎌倉幕府は、日本全土を制するようになった。このとき、佐々木氏は朝廷側に参戦したことで領地を失い、代わりに山名氏が守護職になった。
北条政子は嫉妬深かった。それは、源頼朝が愛されていたということだね。当時から夫婦仲というのは、ファミリーヒストリーを語る上で重要なポイントになる点だと思うよ。「承久の乱」では、北条政子の演説で坂東武者たちが立ち上がったと聞いているから、その嫉妬深い愛が日本の歴史をつくったともいえるよね。
この時代の事を学ぶことで、当時の人たちの価値観が現代と大きく違ったのだなと想像することができる。とくに「血筋」と「氏」がとても重要だった。源氏なのか平氏なのか藤原なのか、橘なのか。そして、清和源氏のブランド力がとても人気だった。
もっというと、北条氏が平氏の流れだったために「承久の乱」が起きたと考えていいんじゃないかね。ということは、日本人にはもともと差別や偏見の気質があるのということになる。
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