見出し画像

【227日目】過去という井戸は深い

ご隠居からのメール:【過去という井戸は深い】

しらす丼は、昨年、円覚寺の帰りに、長谷寺に寄ったあと、寺の近所の食堂で食べたよ。三浦義明の五男、長井義李が改名して、長谷部信連を名乗り、来年から始まる大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の一人になるという縁があるなら、オレも鶴岡八幡宮参拝につきあうよ。

しかし、鎌倉参拝の旅で、問題は偶像崇拝をタブーとする宗教だね。長谷寺、円覚寺、富岡八幡、鶴岡八幡と、四寺社はすべて偶像崇拝になるからアウト。GOTO KAMAKUERAで同行できるのは、由比ガ浜海水浴場くらいか。

大原富枝『彼もまた神の愛でし子か 洲之内徹の生涯』を読んだ。「洲之内さんにあったある種の残虐性、サディズムのようなもの、いつごろから表面にでてきたものでしょう?」と、大原富枝はずけずけと洲之内夫人に質問した。それに対して夫人は、こう答えた。

「後天的なものもあるでしょうけれど、やはり、あれは生まれつきのものじゃないでしょうか。もし、血のことをいうのでしたら、母の方の血ではないかと思っております。カトリックのあなたに、ほんとに失礼ですけれど、わたくし、クリスチャンというものが嫌いでございますのよ。徹の母方は全部クリスチャンでございます」

「私はこの女房にはかなわないな、と思うときと、頭がさがるときがある」と洲之内徹はどこかで書いている。すごい夫婦だね。

大原富枝は『棗の木の下』のような小説を執筆しているときの洲之内徹を「神の愛でし子」だと評した。しかし、小説家としては売れない作家だった。売れたのは美術評論であり、美術雑誌にエッセイを寄稿し続け、多くのファンを引きつけた。小説ではなく、美術評論こそが彼の鉱脈だった。そんな鉱脈を見つけたことが、「神の愛でし子」だったからではないだろうか。凡人には理解できない。

「洲之内徹の生涯も、彼が上京してからの数年、何の収入もなく、妻子を養いかねて、ああ、殺されそうだ、と心に叫びつつ、売れるあてもない小説を、黙々と書き続けていたあの一時期、彼の井戸が垂直に、垂直にと最も深く掘り下げられていたあの時期こそ、神の愛をもっとも厚く劇(はげ)しく注がれていたのである」と大原富枝は書いているのだが。

美術エッセイの愛読者をたくさん持ち、女たちに塗(まみ)れていた後半生、彼の井戸は、垂直にではなく、水平に浅く掘り進められ、神とは無縁に展開していったのだと思う。(大原富枝『彼もまた神の愛でし子か』)

過去という井戸は深い。底なしの井戸と呼んでいいのではなかろうか。

トーマス・マン『ヨセフとその兄弟』序曲「地獄めぐり」より


返信:【Re_過去という井戸は深い】

自分は戦争を経験していない世代だが、戦後30年に生まれているので、一定のGHQ教育を受けてきている。しかし、自分たちの子供たちは、戦後七十年生まれ。自分に孫が生まれたら戦後百年生まれだ。過去から歴史に変わるときに、何を残すかだね。

戦後百年生まれの子孫たちに、どのようなリアルがあったのか。戦争体験者の過去という井戸を知ることは、必ず後生の役に立つ。一方、過去の井戸をひた隠した人もいる。それは、子孫たちに好き勝手推測され、歴史ロマンに変わってしまっている。

昨日の食プロでも引き続き人間学を学んだ。昨日学んで心に残っているのは、人の「性格」は変えることができないが、「人格」は変えることができる。そのためには、「意識」と「行動」が必要とのこと。

たしかにそうだと思ったが、立場が人をつくるともいうなとも思った。優れた人格とは、どういうことか。突き詰めて考えることは、「なんのために生まれてきたか」とい問いに近づけるような気がしている。

大原富枝さん(関係ないだろうが、大原という名に反応してしまう)のエッセイも、面白いね。なんだか、昔の人は、公共の場で、文章で評論してるからスゴイ。ある意味、エンタメだ。ますます『棗の木の下』を読むのが楽しみだ。

「過去という井戸は深い」か。井戸は、水に辿り着くまで暗闇が続き、深ければ深いほど、冷たく透明な水(記憶)が湧き出ている。ということになるのかな。

個人的には、浅く水平に掘り進められた井戸の話を聞くのも、興味があるが、人間学でいうと、「徳」を積み重ねる話ではないのだろう。

それでも、洲之内さんのファミリーヒストリーを書いたら面白いかもな。


<<<前回のメール【228日目】軍属の闇

前回の話【226日目】少年よ、大志を持て>>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?