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【65日目】悲しみの訃報

ご隠居からのメール:【悲しみの訃報】

今回は一転して、岡村家の三女絢子(あやこ)さんが鎌倉沖で水泳中に溺れ、水死したという悲報への返信だ。ピアノを弾いている写真を見たことがあるが、絢子さんは音楽の才能豊かな女性だったようだ。だっこして随分可愛がってくれたそうだが、恩知らずの坊やはすっかり忘れてしまっている。

そもそもの悲劇の発端はノモンハン戦争だね。ハルピンはロシア人のつくた町ではなやかな大都会だったと聞く。そこから埃っぽい田舎町の大同にうつって身重になり、さらに赤ん坊をつれて張家口へ引っ越しではたまらない。あの時代、単身赴任という選択肢は許されなかったと思う。
 
不思議なことがあるもので、昨日は思いがけない人からの電話があった。かけてきたのは柚木脇治恵(旧姓信谷治恵)さんだ。たまたま、数日前、「近くて遠い親戚」として、メールで信谷氏のことを話題にしたことがある。すると、タイミングよく当の信谷氏一族からの電話があったというわけだが、これは単なる偶然だろうか。

用件は長谷部の実家裏の林の中に隠れるようにしてあった墓についての問い合わせだ。もちろんその墓の存在は知っているが、墓碑銘もなく、誰の墓かもわからないものも多い。しかし、ちょうど信谷氏がいつ長谷部氏から分家したのかという疑問を抱いていたので、関連があるかもしれないと思い、問い合わせたところ、現在の当主、六十代の清巳さんが六代目だそうだ。

長谷部家で弟が六代目だとすれば、與一五代目、勝治郎四代目、友次郎三代目、喜代太郎二代目、弥左衛門初代だから、弥左衛門さんの頃、分家をみとめられたのではないかと推察しているが、正確なところは信谷さんのほうから戸籍を調べてほしいと依頼し、その代わり、随筆『尼子の落人』のコピーを東大阪の柚木脇さん宛に送付しておいた。


返信:【Re_悲しみの訃報】

貴美子さんには、喜久子さんと百合子さん以外に絢子さんという妹もいたんだね。実家は京都なのに、なんで、鎌倉で泳いでいたんだろうか。嫁いでいたのかな。

貴美子さんが、亡くなる半年前の手紙。絢子さん、早苗さんを亡くし、心的ストレスがたまっただろうに。その後、貴美子さんも他界、家も戦争でとられ、素さんやはるさんの悲しみは生半可なものではないね。

そういえば、喜久さんが昭和二十年頃、高瀬に来たのは、やはり食糧難で相談しにきたのかね。勝治郎さんも亡くなってるので輿一さんに相談しにきたのかな。

信谷さんからの連絡は、驚いたね。近所に八幡神社がある。長谷部や松田は八幡神社の氏子と聞いたので時間があれば参拝するようにしてる。それから、見田守登さんや信谷さんの話が出てきているので、このような、ご縁はやはり大切にしないといけないと感じ取った。

今日も帰りにお礼しとくよ。


本投稿には、昭和十四年〜十五年にご隠居さまの母であり、自分の祖母である長谷部貴美子さんが、満州国哈爾濱、中国大同及び張家口から京都在住の母との手紙のやり取りを現代語に訳した内容を掲載しておりますが、この「note」掲載の本来の目的は、あくまで、子孫たちへファミリーヒストリーを伝えるための記録として利用させていただいております。手紙の内容は、ご本人のプライバシーを考慮して閲覧制限させていただきますことをご了承いただけますと幸いです。
書簡集(※題名は筆者が命名)

● 書簡001_令和三年(2021年)二月:喜久子(享年102歳)永眠の知らせ
⇒塩田雅子(喜久子:娘)からご隠居(貴美子:息子)への手紙
● 書簡002_令和三年(2021年)二月:叔母様(貴美子)の手紙を送ります
⇒塩田雅子からご隠居への手紙
● 書簡003_昭和十四年(1939年)十一月十六日:新天地到着のご報告
⇒長谷部貴美子(ご隠居:母)から岡村はる(ご隠居:祖母)への手紙
● 書簡004_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大同での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡005_昭和十四年(1939年)十一月二十日:大豆の研究について
⇒長谷部輿一(ご隠居:父)から岡村素(ご隠居:祖父)への手紙
● 書簡006_昭和十五年(1940年)一月六日:新年のごあいさつ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡007_昭和十五年(1940年)二月一日:幸せな新婚生活
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子(貴美子:妹)への手紙
● 書簡008_昭和十五年(1940年)五月二十七日:悲しみの訃報
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙

● 書簡009_昭和十五年(1940年)六月二十日:日本に帰りたい
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡010_昭和十五年(1940年)六月:里帰り出産
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡011_昭和十五年(1940年)七月:もうすぐ帰ります
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡012_昭和十五年(1940年)八月九日:帰郷中止のお知らせ
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡013_昭和十五年(1940年)九月一日:張家口での新生活
⇒長谷部貴美子から岡村はるへの手紙
● 書簡014_昭和十四年(1940年)十二月:結婚のお祝い
⇒長谷部貴美子から伊丹喜久子への手紙


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