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【108日目】蒙疆防疫處

ご隠居からのメール:【蒙疆防疫處もうきょうぼうえきどころ

「方谷塾入門」の発行日が、孫娘の誕生日と一緒だといって、喜んでいるとはかわいいね。今はまだ難しいだろうが、そのうち読んでくれるかもしれないと思うと、発行してよかったと思う。

蒙疆防疫處もうきょうぼうえきどころに関する市川収いちかわおさむ氏の論文をざっと読ませてもらった。関係者の中に長谷部という姓はあるが、與一という名はない。しかし、「昭和十四年十月二十四日に大同を出発し、同日夕刻「綏遠すいえん」に到着し、11月11日まで八日間、調査に従事」した一行の中にはたぶん含まれていたのだろうと推測する。家畜の伝染病予防血清ワクチンの研究なら何も問題はない仕事だと思う。

実はもっと悪い予測をしていた。たとえば、関東軍は手っ取り早く外貨を稼ぐために阿片の栽培、密売をしていた。はじめたのはイギリスだが、いつのまにか日本がこの儲かる仕事に深入りしてしまった。また、731石井部隊のように生物兵器の研究開発を推進する連中もいた。昭和15年11月には新京でペストが流行したが、それは731部隊の仕業ではないかと噂された。

そんな仕事にかかわっていたらあきらかに戦争に付随する悪の謀略だ。今回の新型コロナウイルスの起源に関してもさまざまな噂が流れている。そんな汚い仕事に比べれば蒙疆防疫處なら悪くないと思うよ。関東軍の都合でもあっただろうが、モンゴルの人々のお役にも立ったことだろう。

ただ、大同から張家口へ赴いた後の動静がわからない。おそらく蒙疆防疫處の仕事だろうが、いつかの時点からは兵役に従事している。何が出てきても驚かないが、いずれにしても天皇陛下の命令であり、上官の命令は天皇陛下の命令だった。人間は考えるあしではあるが、個人は一本のにそよぐあしにすぎない。


返信:【Re_蒙疆防疫處】

記事を読む限り五族協和の精神で蒙族の人に日本語を教えながら馬や牛の病原菌の研究や予防接種をしているが、あの頃の戦争をもう少し深堀してしまうとかなり危険な香りのする部隊に所属していた可能性がある。

医療の秘密部隊が731なら、獣医の秘密部隊は100。100部隊は細菌ウィルスの研究と製造をし実戦研究部門として、鼻疽びそ炭疽たんそ、伝染病の研究をして家畜や人体実験などもしていたと証言されてる。

まぁ、あの記事に書いてあるような内容だったら検閲機関に承諾されるでしょうね。きれいごとだけでは済まない時代だったから。

100部隊が実施した細菌戦とすると、1942年ソ連に流れるテンプル河に鼻疽菌を散布し地面を炭疽菌で汚染させたり、1000頭近い馬を炭疽菌に感染させてモンゴル人にソ連国境まで行かせて放牧したり、731部隊と協力して牛疫ぎゅうえきに感染した牛の肉を粉末にして飛行機から散布するなど実施したようだ。敗戦時、馬やネズミに細菌を感染させて逃がしたのは100部隊の可能性もありそうだね。

731部隊の石井四郎は、8月9日ソ連軍が満州に侵攻してくるとを知ると残虐実験の証拠を隠滅するためにすぐさま、生き残っていた「マルタ」を全員殺害、焼却し、実験を記録した書類やフィルムなども焼却。施設も爆破した。

部隊員とその家族は、ソ連軍に捕らえられないように、特別列車を用意しいち早く帰国させたそうだ。100部隊も同様の対応をしたと予測される。

輿一さんが秘密部隊に所属していたのならば、国の命令、天皇の命令として戦時中の話しを一切しないのも理解できるような気がする。GHQに占領されたときなどはいつ呼び出され、殺されるかわからない恐怖と闘っていただろうし、戦後武勇伝として戦争の証言を多くの人がするなか、周りの人はどこの部隊にいたか聞いてくるだろうし、絶対に他言できない苦しみを考えると、輿一さんにとって戦争は生涯終えるまで続いていたのだろうな。

それと、「大豆の手紙」がポイントになってくるね。輿一さんは大豆を本当に研究していたのだろうか。家畜防疫處に所属して、大豆ではなく細菌の研究をしていたのであれば手紙の歯切れが悪くなるのは当然だ。貴美子さんにも隠していたのだろう。

と、まぁ色々と下衆な想像してしまったが、輿一さんが大豆の研究をしていたことは、間違いないようだ。以下文献の参考資料として利用されているのを発見した。

※参考資料:「大豆の落蕾、落花、落莢の解剖学的観察」

13) 長谷部与一:大豆の結実性について. (満洲農学会誌 1.)と記載がある。満州農学会誌は、国立国会図書館に保存されているようだ。日本の農業発展に寄与していたね。


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