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【338日目】:がん検診

ご隠居からのメール:【がん検診】

市役所健康増進課から、がん検診受信券が送られてきた。具体的にいうと、胃がん検診、肺がん検診、大腸がん検診、前立腺がん検診、成人歯科検診、である。胃がん検診以外は毎年十月にかかりつけンのクリニックで検診を受けることになっている。

胃がん検診は受けない。胃にはポリープがうようよ育っていることがわかっている。バリウムの検査でひっかかるのが確実で、二次検査の内視鏡検査(ここで高額な費用発生)にまわされるにきまっているからだ。しかも、八十歳以上になると、手術しても手術しなくても生存率はほとんどかわらないという。

前立腺がん検診はPSAの数値が高いといってひっかかる可能性が高い。八十歳の老人は
PSAが高いのはあたりまえのことだが、症例のほとんどは前立腺肥大であり、がんではない。九十歳をすぎれば、がんが成長して死に至るかもしれないが、その死因は、がんなのか、老衰なぼかわからないという。

成人歯科検診は、受診すると、むし歯を発見され、一本か二本、あるいはぜんぶの歯がぬかれてしまうかもしれないーー。

こうなると、一見して無料無害のがん検診受診券がホラーの世界への招待状に思えてくる。


返信:【Re_がん検診】

人生100年時代といわれているけど、死の恐怖から逃れるためのキャッチコピーに思えてしまうね。

たしかに、死は経験したことがないので、恐ろしいが、実際には今日、命を落としてしまうかもしれない。それとも長生きをして、天寿を全うするために、身体の老いと戦い続けなければいけないのだろうか。

利己的に物事を捉えると、そのような考え方になるけど、利他的に考えると、子孫に命が紡がれ、未来のために存在したこと事態、それでよしなのだろう。難しいことは考えずに毎日、楽しく生きるのが一番だね。


最近は、佐々木道誉どうよが貫いた「婆娑羅バサラという生き方」について理解を深めたいと思っている。とり急ぎ北方謙三「道誉なり」の上下巻をネットで購入した。

婆娑羅バサラについて調べたらひとつ確証のない戯れ言に気がついた。それは、佐々木氏は源氏二十一流派のひとつ宇多うた源氏の一族。そして、伯耆日野にある下榎の長谷部氏は、戦国期に雅樂(うた)と改名して、その後、宇田(うた)と名乗っていた。

これは、下榎の長谷部氏が、「尼子の落人」である可能性があると示しているのではないだろか。「続日野町史」には、江戸時代に活躍した国学者の門脇重綾しげあやという方のコメントから、長谷部信連のぶつらの本妻は高倉宮に仕える神子で、雅樂宇彌名の娘、奥日野に残留した、長藤太郎実信の母だとしている。

更に、下榎の家系図では、長谷部元信もとのぶも本来の名前は「雅樂次郎左衛門」のちに元信と改名したとある。その、元信の孫の代から武家から社家に変更したとある。また注記には「なぜ、戦国期に名を変えたのは不明だ」と書いてあった。

山田方谷の子孫、西谷氏の家系図では、戦国期に長氏から長野氏と名を変えているわけだから、この時期は本当に混乱していたことが想像できる。

しかし、雅樂(うた)と宇多源氏をつなげる説はこじつけだけど面白い。門脇綾重しげあや氏は、江戸時代後期の鳥取藩士で、国学者だったそうだが、これは「尼子の落人」と家訓が残っている、我が家でないとたどり着けない仮説かもしれないね。

先日、「室町幕府家臣一覧」を発見した。奉公衆は五番衆にわかれているのだけど、能登長氏は二番衆、伯耆・但馬長氏は三番衆で、雅樂氏は一番衆だった。ちなみに佐々木大原氏は三番衆。

他にも、宇多源氏の流れで、大原家という公家華族がいる。家業は神楽だ。「厳島の戦」がおきるまで、厳島神社の棚守家に長氏が継いでいたということも判明している。

厳島の長氏は、史実をそのままとらえると、長谷部信連のぶつらが、安芸宮島の検非違使になったころに種を残したと考えてよいかもね。これで、山陰の長谷部氏は、日野、久米、上下、安芸に一族の勢力があったと思ってよい。

掘れば掘るほど、謎多き一族だが、誰も正しいファミリーヒストリーを語れない。歴史に痕跡だけ残して、いまの命があるというのも、不思議な話しだな。


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