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息子へ紡ぐ物語_【より道‐全集】

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自らのファミリーヒストリーを辿りながら、日本の歴史を記してきた「より道」シリーズ。
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#足利尊氏

■【より道‐90】戦乱の世に至るまでの日本史_足利義満へ継がれるまで

足利尊氏が亡くなると息子の足利義詮は、父の時代から続く南北朝のイザコザをなんとか治めるた…

■【より道‐81】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の四職_山名氏

我が家の「家系図」をみると、桓武天皇から坂東武者の三浦一族につながり、平安時代に三浦義昌…

■【より道‐68】戦乱の世に至るまでの日本史_愛に飢えた息子

じぶんの両親にそこまで、怒りとか、恨みを持ったことがないので、じぶんの人生はしあわせなの…

■【より道‐67】戦乱の世に至るまでの日本史_「観応の擾乱」兄弟ケンカの末路

人の「こころ」の移り変わりというもは、とても理解しにくいものです。足利兄弟も、以前は同じ…

■【より道‐64】戦乱の世に至るまでの日本史_足利一族の内輪もめ

鎌倉幕府末期には、モンゴル帝国が日本に2度攻めてきて、防衛戦に勝利することができましたが…

■【より道‐63】戦乱の世に至るまでの日本史_南北朝時代への突入

第二次世界大戦中の足利尊氏への評価は、「正統な後継者である後醍醐天皇と対立し、光厳上皇を…

■【より道‐62】戦乱の世に至るまでの日本史_建武新政の瓦解

鎌倉時代から室町時代までの歴史を学ぶと、時の権力者が人々の気持ちの移り変わりを汲み取るのことができなかったことが、ひとつの要因だったのではないかと思っています。よほど優れた聖人君子でなければ、専制政治というものは続かないのでしょう。 古代中国の伝説の聖天子・堯の逸話では、老百姓が「帝の力がなんであろう。居ても居なくてもおなじことさ」と楽しげに歌っているのを見て、堯は天下が平和に治まっている事を悟ったそうです。 専制政治においては、国民が君主を熱狂的に支持するのではなく、君

■【より道‐55】戦乱の世に至るまでの日本史_王政復古の野望「元弘の乱」

「源平合戦」のキッカケとなった後白河方法の皇子、以仁王を平氏の追っ手から逃した長谷部信連…

■【より道‐53】戦乱の世に至るまでの日本史_王政復古の野望「笠置山の戦」

鎌倉幕府の権力が北条氏に権力が集中しだした頃、イタリア人の旅行家・マルコポーロが記した「…