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息子へ紡ぐ物語_【より道‐全集】

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自らのファミリーヒストリーを辿りながら、日本の歴史を記してきた「より道」シリーズ。
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2022年7月の記事一覧

■【より道‐89】戦乱の世に至るまでの日本史_西の京「大内文化」

前回に続き、大内氏についてです。 ■大内文化 1363年(貞治二年)大内弘世(ひろよ)が、二…

■【より道‐88】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の外様大名_大内氏

我が家の「家系図」に長谷部左衛門尉元秀というご先祖様の隣に以下のようなことが、書かれてい…

■【より道‐87】鶴亀杯みんなの川柳大会

鶴亀杯の俳句、短歌に続き、今回は、鶴亀杯(川柳)に挑戦です。正直、いままで、俳句と川柳の…

■【より道‐86】鶴亀杯みんなの短歌大会

前回の鶴亀杯(俳句)大会に続いて、今回は、鶴亀杯(短歌)大会に応募させていただきます。昔…

■【より道‐85】鶴亀杯みんなの俳句大会

中世のご先祖様につながる、佐々木道誉法師は歌人として、現代にも連歌の付句が72句、発句が6…

■【より道‐84】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の六職_今川氏

■ 桶狭間の戦 桶狭間の戦は、永禄三年(1560年6月12日)、尾張国桶狭間で少数の軍勢を率いる…

■【より道‐83】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の六職_土岐氏

■ 六職 室町幕府を支えた三管領・四職のうち四職には土岐氏と今川氏を加えて、三管領・六職と呼ばれることもあります。四職と六職はどこで線引きされるのか、今となってはどうでもよいことですが、一応調べてみると、評定衆かどうかという基準があったようです。土岐氏と今川氏は評定衆ではなかったというのです。 しかし、美濃の守護職を継いだ土岐頼益(よります)は、評定衆に列し、侍所別当(長官)として幕閣の重鎮となったともいわれています。つまり、評定衆になったり、ならなかったりした家柄のようで