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息子へ紡ぐ物語_【より道‐全集】

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自らのファミリーヒストリーを辿りながら、日本の歴史を記してきた「より道」シリーズ。
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2022年5月の記事一覧

■【より道‐74】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」の整理

足利氏をはじめ、三管領のファミリーヒストリーをざっと、辿ってみると、「足利一門」は、同じ…

■【より道‐73】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」三管領・畠山氏

正直、若い頃は日本史なんか、まったく興味がありませんでした。日常生活でさえも、脳みそをは…

■【より道‐72】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」三管領・斯波氏

征夷大将軍である足利尊氏の補佐役であった「執事」の職は、足利一門の高師直が担っていました…

■【より道‐71】戦乱の世に至るまでの日本史_「足利一門」三管領・細川氏

日本史にふれると、細川氏の名を良く見聞きすることがありましたが、正直、興味が全くなかった…

■【より道‐70】戦乱の世に至るまでの日本史_足利義詮の生涯

中世の日本史は、意図的なのか、ややこしいからなのか、魅力がないからなのかわかりませんが、…

■【より道‐69】戦乱の世に至るまでの日本史_これまでの南北朝問題の整理

こじれにこじれた、中世の足利室町幕府。覚える方も大変です。ここで、一度整理したいと思いま…

■【より道‐68】戦乱の世に至るまでの日本史_愛に飢えた息子

じぶんの両親にそこまで、怒りとか、恨みを持ったことがないので、じぶんの人生はしあわせなのだと思います。 しかし、じぶんの父は、とても、とても苦労したと思います。それは、父が1歳のころ、1940年(昭和十五年)に、母を張家口で亡くしたことからはじまります。 当時は、日中戦争の最中。じぶんの祖父は、蒙古連合自治政府で働いていたので、母が亡くなってからは、姑娘に育てられていたのでしょうか。しばらくは、男で一つで育てられていました。 当時の日本は「産めよ殖やせよ」というのが、国

■【より道‐67】戦乱の世に至るまでの日本史_「観応の擾乱」兄弟ケンカの末路

人の「こころ」の移り変わりというもは、とても理解しにくいものです。足利兄弟も、以前は同じ…