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べろっく歌詞超過大解釈学概論 #1限目


こんにちは、べ椅子と申します。

今回より『べろっく歌詞超過大解釈学概論』というタイトルでコラムを書かせていただく運びとなりました。
記念すべき第1回は「何がいいと思いますか?vsミュートに戻ってくださいフェス」にて宇宙災害氏が2曲目に演奏した『東京都中央区暮らしの歌』について。
稚拙な文で大変お恥ずかしいですが、お付き合いいただけますと嬉しいです。
では、始めさせていただきます。



この曲の歌詞の真意に辿り着いた時、私たちは、宇宙災害氏が少なくとも700年先の未来を予見しているということに気づくことになる。


限目『コロナ禍の人々はあの頃のマスクの夢を見るか?』


ーーーマスクを忘れてとんぼ返り

この曲の歌詞で度々登場するこの印象的なフレーズ。
このフレーズこそが、この曲の歌詞の真意を解き明かす最初のカギである。

このフレーズで登場する"マスク"について、皆さんは浮世の昨今を騒がす彼の感染症の対策のためのものとして解釈してはいないだろうか。

それは半分正しく、そして半分誤りである。

確かに、ここで登場するマスクは彼の感染症対策のためのもので間違いない。しかしながら、そこで止まってしまっては到底この歌詞の真意には辿り着けない。ここから私がその解釈が誤りであるとする残り半分の部分について書いていく。

まず皆さんには、このコロナ禍以前、マスクをどのような時に利用していたかについて思い出してほしい。 多くの人が風邪をひきやすい冬場、あるいは花粉症の季節などを想像するのではないだろうか。 いやいや、コロナと同じく感染症であるインフルエンザの流行期だという人もいるかもしれない。

勘のいい方ならもうお気づきの方もいるかもしれないが、今挙げたようなマスクの利用例にはある共通点がある。それは『一年の中で、ある程度決まった時期でマスクを利用している』という点だ。

新型コロナウイルスが猛威を振るう以前、誰が"マスクをして"咲き狂う花の下、気狂い水を舐めたただろうか。
誰が"マスクをして"朱い海に潜る陽を背にしただろうか。

この半永久的とも思える流行病の下で誰もが被るマスクは、これらとは一線を隠しているのは間違いない。 つまり、件のマスクたちが「刹那性」や「短い周期」を表すのに対し、コロナ禍のマスクは、より長い時間を意味しているのだ。

このフレーズを理解するために重要なことは、マスクを「コロナ禍におけるマスクである」と捉えるのではなく、「冬場や花粉症の季節に身につけるマスクではない」と捉えることだ。 これこそが、私が述べたかった残り半分の誤りの部分である。

この曲を、ただ単に「繰り返される毎日に変化をあたえない自分」について歌った曲だと解釈するのは大きな間違いである。 そのような短期的な周期について歌っているなんていうことは、先に述べた通りこの曲の中で既に否定されているのだ。 しかしながら、悠久をも想わせるこのフレーズが、繰り返し歌われているのは何を意味するのだろうか。

次回、そこに隠された宇宙災害氏からニコライ・コンドラチェフへの挑戦、もとい挑発について解き明かしていきたいと思う。


※この記事は全てネタです。作詞者から一切歌詞に関する話を聞くことなく、お酒を飲んでめちゃくちゃに捏造したものですので、歌詞の意味、作詞者の意図とは一切関係ありません。 作詞者の了解を得た上で書いておりますので、作詞者のファンの方はどうか怒らないでください。


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