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PCRとコロナと刷り込み 人の頭を支配するしくみ⑤

PCR検査、新型コロ〇の診断における問題点②

細川:10年前のSARSの時は、37度5分以上の熱でしたら外で診ているんです。冬の寒い2月、3月でも。そんなひどいことをやってきました。

でも指定感染症5類ですから、診させてもらえました。

今回は2類にしていますので、すぐ保健所に電話するんです。そうしたら指定病院を教えるから、そこに行ってくださいと、各開業医は門前払いするわけです。診ていないから、意見もできなかったんです。

大橋:そういう形で、例えば議論ができないような状況にされてしまったというか、手続き上そうなってしまう。

細川:今度の春でもう1年たとうとしているのに。

大橋:指定感染症2類になっているから、届け出なければいけない。そこに一つの大きな壁みたいなのができてしまう原因があった。しかも届け出の様式、診断の方法が政令に書かれていて、一つは病原体診断、もう一つは遺伝子診断、抗原検査、抗体検査とあるんですが、遺伝子診断のところで、遺伝子増幅法で陽性になったと書かれているんです。

でも遺伝子増幅が正しいかどうかについては何も触れられていない。そこで議論することでもないのでしょうが、既に遺伝子増幅が正しいものであるという前提のもとに、指定感染症の様式ができている。ここに問題があると私は思うんです。

細川:そのとおりです。

大橋:どこにも議論する場所がないということで、遺伝子増幅という方法が果たして適切であるかどうかの議論をすっ飛ばしている。そして、1日の感染者が東京で1000人を超えたとか、毎日テレビで感染者、感染者と言って、国民の多くの方が、感染症が広がって大変な状況にあると認識せざるを得ないような状況に追い込まれている。

これが今の大きな問題ではないかと思います。

細川:ニュースのときに、「新型コロ〇ウイルス感染者数」と言いますよね。「いかさま八百長PCR検査陽性者の人」と言えばいいけど、それは隠しておいて、ぴしゃっと定義づけているんですね。

大橋:遺伝子増幅というのは、ある意味間接診断の一種なんです。直接ウイルスを見ているわけではないし、ウイルスを見てない可能性もある。

間接診断であるにもかかわらず、感染者とテレビが報道するシステム、届出という一つの事務手続きを経ることによって、間接診断にすぎないPCR検査の陽性者が感染者になってしまう仕組みが存在する。

ここに問題がありまして、そこに多くの人が異議を挟めない、これは一つの政令ではありますが、事実上法律のような形で、異議を挟めないような仕組みが存在する。

本来は、間接診断ですと、本当に直接的な病気を見ているんですかと。

間接だから当然見ていないわけですね。一つのパラメーターを取り出しているにすぎない。

本来ならば、それが病気のどこの部分を見ているんだろうか、本当に病気なんだろうかと。

間接診断のデータというのは、病気を直接あらわすものではなく、一つの間に挟んで、何かの数値を見ているにすぎない可能性もあるわけです。

ですから、多くの方が、いろいろな症例から、どういうことが言えるんだという議論に参加しなきゃいけないはずで、現場のお医者さんがそういう議論の中心にいなければいけないはずです。

今回の新型コロ〇は、特に現場のお医者さんと厚生労働省の間の意思疎通もほとんどなく、実際に今多くの人が困っているにもかかわらず、お医者さんがアドバイスをするとか、意見を言える場がほとんどない状態です。

町の開業医の方々が、そこの町の困っていらっしゃる多くの方々の相談窓口にもなれない。

先ほど言われたように、発熱の人はお断りとか、そういう貼り紙をしている病院とか開業医の医院が結構見受けられる。

一番相談窓口にならなければいけないはずのホームドクターの先生方が相談の窓口になれない。

細川:門前払いせざる得ない。行政指導でそうなっているんです。

大橋:そこに大きな問題がある。そこの問題点を解消するためには、やはり指定感染症の問題が非常に大きいということです。

細川:大きいですね。もう1年になります。

大橋:5類になれば指定感染症の届出の義務がなくなり、インフルエンザ相当になります。

細川:風邪ですよね。夏風邪があれば、冬風邪もあります。

インフルエンザの簡易キットでA型かB型か陰性かが出る。陰性と出たら、「インフルエンザではないから、安心して帰って家で栄養つけて、ゆっくり寝ておきなはれ」と言えるんですけどね。

B型だったら、「珍しいね。今回B型がはやっているのかな」なんて言って、やることはインフルエンザの薬、リレンザあるいはタミフルが保険診療になっていますから、用法容量に沿って出して終わりです。

大橋:5類ということになりましたら、症状のある人だけを対象とするしかないですよね。

細川:なのに今回は、症状がなくてもPCR陽性なら全部感染者とカウントする。

死んだ人がPCR陽性だったら、新型コロ〇が影響してこの人は肺炎になり、死んだんだろうということで、死亡診断書の死因が「新型コロ〇感染症」になるんです。

死亡診断書には書く欄が(ア)(イ)(ウ)と三つあって、(ア)は直接死因、(イ)は何でそういうふうになったか。例えば心筋梗塞の場合、(ア)に「急性心不全」、(イ)に「心筋梗塞」と書く。心筋梗塞で急性心不全を起こして死んだ。したがって死因は(イ)のところが生きて、心筋梗塞という死因になるわけです。

今の新型コロ〇の場合は、(ア)に「急性呼吸不全」と書いて、(イ)に「肺炎」、(ウ)に「新型コロ〇感染症」と書く。そうすると一番下が死因になります。

(ウ)によって、(イ)になって、(ア)になった。新型コロ〇感染症が原因だということになりますから、そこで死者数が上がるわけです。

アメリカなんて100倍に底上げしています。患者や遺族はお金がもらえるから、お金で釣っているんです。

通貨であるドルを刷りまくって、補助金がもらえるとか、お金で釣られた。日本は円を刷りまくって、補助金がもらえるとか、お金で釣られた。

医学がお金に支配されれていると私は思いますね。

そして今度はワクチ〇利益です。利権が2月の終わりから始まろうとしています。


間接診断、検査中心の今の医療の問題点

大橋:診断の問題だけを取り上げますと、症状というのは少なくとも体の不調ということでは、ある意味………。

細川:でも、治ろうとして鼻水が出ているんです。出そうとして咳が出ているんです。

大橋:それは治る過程の体の反応ですよね。そこら辺までを、一つの自然の摂理と私は言っているんです。

細川:その症状を悪いものとして、対処療法だけ認可しているのが厚生労働省です。

慢性疾患に関しては、それが保険診療の中身です。

大橋:体が健康な状態から外れてきますと、私たちは体の調子が悪いということで、自分で治そうとすることもあるけれど、手に負えなければお医者さんのところに行く。こういう形で医療が成り立っていると思います。

そのときに一番ベースになっているのは、自分の体の調子がどうかということです。

お医者さんに対してもそのことを言って、診察してもらうわけですが、一つの体の反応ですよね。

原因があって、症状として体が反応しているということで、自然の摂理に基づいて症状なり何なりが、調子が悪いということを含めて出ている。

それは一つの生存の流れに沿っているわけで、ここに問題が起こるところは少ないわけです。

ところが間接診断という形で、データとして切り出すという作業が最近の医療では多い。

お医者さんに行っても、まずいろいろな検査をする。検査自体が一つの切り出しなんです。

何かのパラメーターというデータを取り出して、それで病気の一つ一つの診断のパターンに当てはめて、病名というラベル貼りをするわけです。

それが適切かどうかという問題があります。また、そのプロセスをパターン化して、それを学会が認定して、診断基準みたいなものをつくって、誰もが同じような形で診断ができるようなマニュアルがつくられていますが、そのマニュアルが果たして適切かどうかが非常に大事になってくると思います。

一応そういうことを学会の中で議論したりはしているんでしょうけども、果たしてそれが本当にうまく機能しているかどうかは、ちょっと疑問の余地がありそうです。

今、医療がパターン化というかマニュアル化というか、それが医療の発達といえばそうなのかもしれませんが、恐らく昔は、マニュアル化がそこまでされていなくて、お医者さんが患者さんを見て、脈診をとって、聴診器を当てて、話をよく聞いて、それで診断されていた。

今のような検査医療が発達していなかったということもあるでしょうけれど、検査に頼る部分が少なかった。

脈をとるにしても訓練が要るし、経験的なものが非常に大きくて、個人差もあったでしょう。

でもそれがお医者さんの経験であって、その経験を踏んでいくことによって正しい診断ができていく。

そころが今の検査医療になりますと、いろいろな検査項目がもう決まっていて、その検査の数値に基づいて診断することになります。

細川:誰がやっても同じ診断になる。

大橋:経験というものが、そこではあまり生きてこない。

細川:診断基準に基づいた単なる病名づけにすぎないんです。

大橋:ラベル貼りですよね。ラベル貼りをしてしまうと、それが自動的にひとり歩きするという形です。

細川:患者がいない医療になります。病名中心主義。

大橋:病名貼りというのは、演繹(えんえき)的思考でいいますと、トップに貼られるわけですね。

ピラミッドの上にラベルを貼るようなもので、そこからこういうことが起こっていくんだということが、自動的にマニュアルで語られるようになる。

細川:やることが一緒になっちゃう。東大へ行こうと、京大に行こうと同じなんです。

大橋:同じような医療になってしまうということで、患者さんの側からすると、どこに行っても同じ医療が受けられる。

細川:それが安心みたいですね。

大橋:逆に言うと、お手軽医療になってしまった。コンビニ医療という言い方もできるかもしれません。パターンを当てはめることによって成り立つ医療です。

細川:産業化しました。

大橋:産業化した医療の中に、今回のコロ〇みたいなことが起こってきますと、例えばPCRで陽性になったら、これは感染だと言って、何かおかしいかもしれないけど、何となくそれが当たり前になってしまうと、それをみんな受け入れてしまう。

ここに問題があるのではないか。

細川:根っこは同じですね。

大橋:今の医療でもって診断をしていくという西洋医療のスタイルです。これは戦後、検査医療が発達することによって成り立ってきたものではないかと思います。

細川:そう思います。だから先生の専門分野が一番それに手をかしたのかもしれないですよ。

大橋:検査技術というのは、非常に大事なものではあると思いますが。

細川:医者のためにはなったんです。バカ医者のためには大変役立った。だけど患者のためにはどうでしょう。

救急のときはしょうがないですよ。「赤血球がこれだけ少ないぞ。危ないぞ」とか、「熱があるぞ」とか、「腫瘍があるぞ」とか、画像と数値の二つでとっとと早く助けなきゃいけない。

命が危ないんだから、それでやればいい。胸を開けるか、開けぬかといったら、根拠も要るでしょう。根拠が要るときには、一般的なみんなが納得できる数字、画像診断が必要なんです。

でも、慢性疾患なのに、「ちょっと頭が痛い」と言っただけで、「脳腫瘍かもしれませんね」と言って、すぐに造影剤を入れてMRIを撮ったりCTを撮ったりする。あれってどうなのという感じです。

「2、3日前からちょっとお腹がシクシクするんですよね」。普通だったら「様子を見ますか」となるのが、「2、3日も放っておいたんですが」と言って、すぐにCT、MRI、PET、内視鏡とやるわけでしょう。ベルトコンベアですよ。

全部異常がなかったで、「気のせいですよ」となるわけです。検査しないと悪い医者、してくれる先生はいい医者になるんです。

大橋:そういう意味では、今は検査中心の医療みたいになってしまいましたね。ちょっと前までは症状をベースにして、病人かそうでないかを決めていた。

これがごく自然な流れで、人間が誕生してから今まで、症状があるから、病気であるかどうかというのを自分で判断するという医療でした。

それがだんだん検査技術が発達してきますと、検査の値によって病気であるかどうか。

自分は極めて健康だと思っているのに、ある日、人間ドックとか検査でひっかかって、病人にされてしまう。

ある病気と診断されて、余命があと半年とか、突然言われるようなことになって、それを不思議に思わず受け入れてしまう社会ができてしまった。


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PCR検査法について詳しく知りたい方はこちらの本も参考にして下さい。






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