和の心コズミックスピリット⑮
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■円形集落は一つの存在に関心が向けられる中心軸的世界観から生まれた
円形集落はいったいどのようにして形成されたのでしょうか。
子どもの行動様式には人類初期の文化に類似する性質が認められますが、小さな子どもたちを観察すると、目的のないままに集団で円形の形を作ることはまずありません。
円を作るのはほとんどが全員が何か一個の存在に関心を向けている時です。ちょうど回転運動が軸を伴うのと似て、みんなで共通する何かに向かおうとした時に円の形を作ることがよくあります。
ですから円形集落文化をもっていた日本列島に中心軸的世界観が強く認められるのは偶然ではなさそうです。
大地に立てた木(柱)に霊性が宿るとする宗教文化が見られるのは、日本だけではなく、とくに北アジアの日本列島に近い地域により濃厚に見られます。ですが日本の特徴は年代的にも古く、用いられた木の大きさからして規模が盛大です。
また木だけでなく、立石も含め、その周囲をとりまく円形構造がはっきりと認められる場合が少なくありません。
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■石器時代から中心軸的世界観の円形集落があった日本列島
ではこの中心軸的世界観の形成とも関係する円形集落が日本に形成されたのは、いつ頃なのでしょうか。
日本における円形集落の歴史を調べると、驚きの事実に直面することになります。縄文時代にはもちろん円形集落が栄えていましたが、日本列島に円形集落が形成されたのは、なんと縄文が最初ではないのです。
それははるかなる太古、人類が文化と言えるものを持っていたかどうかが微妙な旧石器時代に相当する年代にまで遡ることができるのです。
もちろんこんな時代には円形集落の痕跡は世界のどこにも発見されていません。ただし、たった一つ例外といえるのが日本列島なのです。考古学の世界では、約三万六千年前の旧石器時代にあたる時代に、日本列島にはすでに円形集落が形成されていたことがわかっています。世界のどこにも発見されていないというのに、日本列島には約百か所も見つかっています。
なぜ円形集落を形成していたのがわかるのかというと、生活に用いていた日用品(石器)の発掘分布が環状であることからです。
これは学術的には「環状ブロック群」と呼ばれますが、このような計画的構造の集落があった痕跡は、円形以外を含めてもこの時代には日本以外のどこからも発見されていないのです。
この事実は言うまでもなく、中心なる軸を神聖視する世界観の成立を考えた場合に大変重要な意味をもちます。
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■世界太古の時代に日本列島だけが飛躍的に文化が発展していた?
この環状ブロック群からは、旧石器時代に相当するにもかかわらず、磨製石器が出土しています。これも大変な事実です。西洋の考古学では、人類は一万二千年前から磨製石器を発明し、新しい時代に入ったとされてきました。
そしてそれを「新石器時代」と呼び、それ以前を「旧石器時代」と呼んできました。磨製石器の登場は一万二千年前というのが長らく定説だったのです。
このかつての学問的常識を三倍も遡る年代に、この世界で初めて円形集落を作った人々の間には、磨製石器(局部磨製石斧)を作る技術もすでに存在していたのです。
この年代では日本列島のものが世界太古とされており、近隣の朝鮮半島や中国大陸からも、もちろん一点も発見されていないのに対し、日本列島からは六百五十点以上という数で出土しています。
これは大陸から切り離された日本列島だけに飛躍的に文化が進行していたということを意味しています。
(続く)
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■過去記事
続きものになっているので、興味がもてた方は最初から読むとより面白いかと思います(*^-^*)
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■関連書籍と記事の紹介
ガイアの法則
これからは日本の淡路島、明石の東経135度線が世界の中心となる…。これは世界、宇宙の法則であるスピンにそれが証明されているという千賀一生さんが実際に体験したチャネリングより記された一冊です。
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日月神示解釈本:中矢伸一
千賀一生さんを紹介していた、主に日月神示の解釈本を書いている中矢伸一さんの書籍です。今の感染症の時代を予期していたかのような内容が書かれているのが興味深いところです。
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