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ガイアの法則⑭

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※このお話は、著者の千賀一生さんがエリドゥ遺跡でシュメール人の大神官とのチャネリングを通してのものです。それを考慮して読んでいただけたらなと思います。

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■これからの時代は個々の都市文化や自立型の都市経済が重視される社会になる


「西回りスピンもこの位置にある」

といって、右回りになぞりながら9時の位置を示しました。

「今後、東西スピンが閉じる局面に進むと、国際性は現在の状況を保ちながらも、国家や経済の統制力は弱まり、個々の都市文化や自立型の都市経済が重視される社会へと変化することになるだろう。また、人々の価値観もそうした方向に進むだろう。これも法則なのだ」


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■モヘンジョダロの真下に存在した遺跡が示すものとは?

私は何となくではありますが、聖なるシンボルの意味するところが分かりかけた気がしました。様々なことを考えさせられましたが、考えてゆく中で別の一つの疑問が生じました。

私たちが知るインダス文明は、東回りスピンがインダスの位置に入った年代に誕生した文明です。だとすると、西回りスピンがインダスに位置していた年代は、私たちが知るインダス文明よりも以前ということになります。そんな時代にインダス文明などあったのでしょうか。

「もちろん文明はあった。その遺跡も聖なるポイントである45.0度の位置で、あなた方はすでに発見している」

私は後で調べてみました。驚いたことに、やはり彼の言う通りでした。その年代の聖なるポイント45.0度の位置にあるモヘンジョダロの真下で、モヘンジョダロよりも古い遺跡が既に発見されていたのです。

この遺跡はモヘンジョダロの真下12メートルの位置で発見されており、その近隣からはインダス文明よりもはるかに古い大規模な農耕集落の遺跡も発見されていることを知りました。

この遺跡が下層から見つかったということは、何らかの天変地異により水に浸かった可能性が大です。洪水によりこの文明は消滅し、その後に誕生した文明が一般に知られるモヘンジョダロを中心とするインダス文明なのだと考えられています。

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■エジプトは国際都市ではなく、一民族の都市に過ぎなかった

私の中には疑問と思われる点がもう一つだけありました。それはエジプト文明の存在でした。エジプト文明はメソポタミア文明と同時代に、メソポタミア文明と並んで当時の最高水準に繁栄した文明のはずです。しかし、その位置は脈動ポイントではありません。

彼は言いました。

「ここにも【聖なるリズム】によるより精密な法則が働いているのだが、それについては後で伝えよう。しかしながら、あなたのエジプト文明のイメージは実像との間にズレがある。当時、シュメールは世界一の国際都市であったが、エジプトは国際都市ではなく、一民族の都市に過ぎなかったのだ」

私は後でこの点も調べてみました。エジプト文明と言えば、あの壮大なギザのピラミッドやスフィンクスが一般にはイメージされ、この周期の年代に作られたとされてきました。しかし、近年ではスフィンクスに刻まれた浸食跡が水によるものであるという見解がボストン大学のロバート・ショーク博士によって出され、そうであるとすると、スフィンクスは7000年前以上前のものでなければなくなります。

また、正確な天文学的周期を計算に入れて建造されているギザのピラミッド群の配置を、歳差運動による天体のズレの上から分析すると、その建造年代は1万2000年以上も前に相当するという、通説を覆す見解が広く知られるようになりました。

これが正しければ、この年代のエジプトは当時の最先端地域の一つではありましたが、あのピラミッドから連想されるほどの高度なイメージではなかったことになります。

(続く)

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●過去記事と関連書籍の紹介

過去記事です

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『ガイアの法則』を紹介している中矢伸一さん解釈の日月神示の書籍の記事その①です。

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『ガイアの法則』を紹介している中矢伸一さん解釈の日月神示の書籍の記事その②です。

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