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Your Relationship with Me

キーを叩く手を止め、チェアに深く背中を沈める。
冷ややかな窓の外には雲が広がり、白と灰がマーブル模様のように不安定に溶け合っている。まるで、今の自分…そんな思いがよぎる。原因は、目の前の企画書だ。

「エンゲージメントサーベイを進めたいから、至急、企画を進めて。」

トップの一声でES測定の設計を始めることになったのだが…書き進めては消す、の繰り返しだ。いくつかの専門的な書籍や論文などをあたってみたが、考えれば考えるほど、空に広がった雲のように捉えどころがない。

企業がエンゲージメントというとき、それは従業員のエンゲージメントを指し、エンゲージメントを維持向上させていくことは重要な人材戦略である。
多様な個性をもつメンバーが仕事に対し主体的・意欲的に取組める状態がワークエンゲージメント(WE)であり、現状とあるべき姿とのギャップを浮き上がらせるツールがES、つまり、WEとESは目的と手段の関係にあると言い得る。…手を、また止める。
ダイバーシティ、多様な価値観の受容…こんなに複雑化した社会で、あるべき姿とは何なのだろう?

「我が社はスタートアップだし、まずはスピード感をもって欲しいんだ。内容をシンプルなものにして、まずは出た結果を眺めるぐらいに考えてくれていいから。」

確かにそうかもしれないが、そうじゃない。
結果を眺めるにしても、何があれば、メンバーが組織の目指す方向を理解し、共感し、共に行動しようと意欲を持ってくれるのか。逆に、何があればそれが失われるのか。その仮説が必要ではないのか。

「ごほっごほっ」

はっと我に返る。横をみると、システム部のYさんが咳き込んでいた。
2週間前に入社した、私より一回り以上若いメンバーだ。入社時に自己紹介をしてくれた後、挨拶やちょっとした会話をしたことがあった。

「ごほっごほっ」

咳の様子から、風邪気味なのだろうか?絞り出した声が少しかすれているように聞こえる。静かな執務室だから、よく聞こえるのだろうか?
Yさんは、咳がおさまるとモニターに目を落とし作業を再開するが、呼吸が苦しいのか、他の理由か、険しい表情を浮かべているように見える。

そういえば、彼のメンターは誰だっただろうか。メンターは今日、出社しているのだろうか。そこまで考えて、ああ…一つだけ分かったことがある。私は彼のことをよく知らないのだ。すぐ近くにいるのに。

私は、通勤用のリュックを開け、取り出したクッキーを彼の手元に差し入れる。街中がクリスマスに彩られているのを見ていて、つい購入したものだ。

「えっ?」
「クリスマスプレゼント!」

Yさんは、少し驚いた様子で私をみている。

「少し風邪気味かな?何か最近、急に寒くなってきたよね、お互い体調に気をつけなくちゃね。」
「あ、はい。」
「これ食べて、元気出して!」

そう言って私は笑った。
思いがけないことに、Yさんも笑顔で応えてくれた。

職場への帰属意識、チームの一員であるとの自覚がエンゲージメントを高める大きな要素であることは広く知られている。
エンゲージメントは、人と人との関わり合いだ。一人一人が自身の仕事のあり方を捉えなおし、周囲との良好な対話を交わす中で、その意味を理解しようとすることから始まるのだろう。

雲の間から差した陽光が、暖かく手元に触れた。



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