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安定剤案件。

焼いたマシュマロを食べた。
琵琶湖で知り合いの子どもたちと遊んで
焼いたマシュマロを配り、
「美味しいね柔らかいねとろとろしてるね」
と子どもたちの言葉をうんうんと聞きながら、
厳しくも優しい母親たち、父親たちに紛れて
わたしは子どもと遊んだ。

子どもたちがまた遊び始め、
わたしは段ボールを敷いて座っていた。
みんながもし、座りたいときにわたしが座っていたら邪魔になるし、全ては子どもたちの安全が第一で楽しくて幸せなのが最優先だと思って、わたしがイスに座るのは申し訳なかった。
知り合いのお兄さんが「食べる?」と
わたしに焼いたマシュマロを差し出してくれた。
「うん」と頷いてそれを食べた。
美味しかった。
焼きマシュマロは冬の風物詩だとおもっていたけれど、夏に食べている。
優しい味がした。

帰り道、狭い座席の中でお兄さんは真ん中、わたしは右に、知り合いのお姉さんは左で爆睡していた。
わたしも疲れてうとうととしていると、
ぐいっと曲がるカーブで、ぐおん!とお兄さんにぶつかってしまった。
「ごめんなさい」と謝ると、次のカーブのときは支えてくれていた。
常に触れていた温かい肩や腕が心地よかった。

ずっと泣くのを堪えていた。
わたしも、あんな家族に生まれていたらと思った。
この優しい肩や腕が嘘じゃない何かで出来ていて永遠にきれいなものだったらとも思った。

もちろん母は好きだし祖母も姉も祖父も好きだけれど、わたしが欲しかった家族の優しさとは違っていた。
羨ましくて憎たらしくて仕方なかった。
きっとわたしも、思い出せないほど過去にはこうして遊びに連れてきてもらっていた。
でも思い出すのは、帰り道の機嫌の悪い母と父だ。
箱根へ旅行へ行った時のことをよく覚えている。
寝たふりをして父と母の言い合いを聞いていた。
ずっと胸の奥が苦しく、酸っぱかった。

焼いたマシュマロは、わたしには優しすぎた。
カーブのときに支えてくれるのも優しすぎた。
娘や息子から絶対目を離さない家族が優しすぎた。
わたしは、ただ笑ってバカみたいな話で自分を着飾ることで何もバレたくなかった。
甘えたがりなところも、わたしにだけ優しくして欲しいところも、本当はさみしいことも。

話は変わるが、古い友人が久しぶりに連絡をしてきた。
なんだかおかしいなとは思っていたけれど「長い時間一緒にいたい」だとか「おうちに遊びに行ってもいい?」だとか言うから「こわいよ」と怒った。
当たり前な展開なのに、わたしはただただ「また久しぶりに会える!」とぬか喜びをしていた。
今思えば、バカみたいだと思ったし、そういうものだったのを忘れていた。
純粋な気持ちは腐るのが早い。
腐りきった心でさえ痛くて仕方ない。
わたしの素直な喜びを返して欲しかった。

マシュマロの話に戻る。
そんなことがあったからか、痛かったのだ、マシュマロの甘さ、優しさ全てが。
それさえも棘となり、わたしが手を伸ばすと勝手に血が出る。
この人の優しさは違うはずだと思いながら、勝手に痛かったのだ。
この家族たちは素晴らしいのだと思いながら、勝手に辛くなっていたのだ。
このマシュマロのような全ての優しさが痛くて怖いと思ったのは、初めてだった。

思い返せば「お前のためにしてやってる」という言葉が最後に吐き捨てられることが多かった。
したくてしたんじゃないの?そんな疑問を抱きながら、わたしのためにしてくれたのにと自分を責めた。
そんなことも考えながら。

家に帰ると泣いてしまった。
なんて愛のある家族
なんて無垢な優しさ
なんて無邪気な命の塊

わたしには到底縁のないものばかりに触れてしまった。
あまりにも愛を過剰に摂取してしまった。
あの雰囲気、あの呼ぶ声、あの、全ての時間と空間が、
汚れたわたしの過去に、
錆びたわたしの感情を、剥き出しにする。

性別を考えると鬱になる。
そう言っていたあの子。
わたしは今日みたいな日が1番鬱になるみたい。

家に帰ってあらすぐに安定剤を飲んだ。
いくら飲んでも、錆は取れないし過去はキレイにならないから、ひたすら誤魔化すしかない。
「楽しかった、すてきな夏」そういう記憶だけを残しておく術はないのだろうか?

わたしはこうやって剥き出しになった自分の全てをまだ受け止めきれずにいる。

ネジを巻いて普段のわたしに戻りたい。
人をゴミのように見るわたしに戻りたい。
キレイなものが怖い。
わたしが壊れるみたいで。

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