名前

台湾に旅行に行った時、占いをしたんです。
日本語が堪能な占い師さんに言われた一言
「だれがこんな名前をつけたの。運気がよくない」

母と、今は亡き父が初めてくれたわたしへのギフトをそう一蹴されました。
確かにその名前で生きている間、不幸のオンパレードで、ああよくない名前なんだって素直にそう思ったのです。

そしていま、自分にゆいという名前を付けました。
新しい自分、新しいこと、全てにイチから立ち向かう名前として、可愛らしく、本名と双子になりそうな名前が良くて、憧れの可愛さを持つ友達の名前をもらいました。

お店でもそうだけど、夜遊ぶときもこの名前で自己紹介をしていて、千尋が千として働いていたように、わたしはこの夜の世界では、ゆいとして生きているのです。

ときどき、自分の名前が何だったか、本当のわたしがどんな風だったのか、忘れてしまうことがあります。
その度に千と千尋を観て泣くのです。
泣きながら食べているおにぎりも、次から次へとくるお客様への対応も、重なるところがたくさんあって、わたしの話かと思うほど喉の奥が苦しくなるのです。

近所のマダムにも源氏名の話をしたときがあり、
その日からわたしを「ゆいちゃん」と呼ぶようになりました。
マダムには、本当のわたしを見ていて欲しくて、
「源氏名ですよそれ」と茶化し、本名を伝えると
「あら、フランス語だと最高に綺麗な発音なのよ。」と教えてくれました。

「よくない名前」と言われた日からわたしは、自分は名前からして良くないとずっと心の奥で思っていて、薄墨で書かれた名札をいつも付けているような気持ちでした。
フランス語、という、異国の綺麗な街(という印象だけの)言葉では綺麗な発音だと聞いて、
涼やかな風が耳の横を吹いたような気がしました。

本当のわたしの名前を思い出し、
振り返りもしないで去って行くのかと思うと。
あの映画のように少し寂しく、いまよりもっと強くなって生きていけるのかなと、何となく思っています。

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