産学連携を考える(1)

 いつの頃からか、ビジネスの世界においても、産学連携という単語がもてはやされるようになり、企業は産学連携に新規事業創出の活路があると幻想さえ抱くようになってきたように思います。おそらくは、平成10年に公布された「大学等における技術に関する研究成果の民間事業者への移転の促進に関する法律」がきっかけであり、多くの大学にTLO(Technology Licensing Organization:技術移転機関)が設置された頃からであろうと思われます。

 ちょうどその頃から、大企業では、かつての中央研究所ブームが終わり、ほとんどが基礎研究的な取組をやめ、その機能、役割を大学に依存するようになってきました。またこの頃から、大企業には、“変わり者研究者“がいづらくなってきたようにも思います。かつては、なんでこんな研究をしているのか、事業とどう関係するのか等の疑念を抱かざるを得ない、愛すべき異端研究者が日本の大企業の研究所には沢山いたように思います。
今や、新規事業であれば10年、少なくとも5年はかけてものにする時代は終焉し、長くても3年、あるいは1年で開発して、2年目からはタンクロ(単年度黒字)を目指す(目指さなければならない)企業が多くなってきました。これでは、なかなか企画部門で人材が育てられないような気もします。

 2008年のリーマンショック以降、企業の企画部門、新規事業部門では、現在で言うところのイノベーティブな企画を提案する機会が減り、米国のシリコンバレー等にアイデアのネタ、コピー元モデルを求めるようになっていきました。大企業を中心にシリコンバレー事務所を設置するブームがありましたが、その多くがコピー元探しの事務所でもありました。

 また、大企業のMBA社員ブームが起こり、多くの優秀な若手ビジネスマンが海外に会社負担でMBA留学をするようになっていったのも丁度その頃だと思います。当時は、まだ、エレクトロニクス、メカトロニクス、高分子化学・新素材といったモノづくり系が主流であり、ヘルスケアや観光、インターネットという言葉はほとんど使われていませんでした。辛うじて情報通信産業という分野は注目されていましたが、その内容は、テレビ電話やCATV、ISDN、VANといったものであり、ソフトウェアやコンテンツ的な意味合いは非常に薄かったように思います。

 一方、この頃の産学連携といえば、有名大学の工学部を中心に有名な先生を見つけ、何らかの研究素材(基礎技術)を見つけだし、その先生に資金をつぎ込みながらパトロンとして付き合い、いい頃合いになると自社に持ち込み事業化を図る、というのが通常であったようです。いい相手(先生)を見つければ、いい事業が創れる、いい商品が作れる、そして売れるといった将来予測ができる、古き良き時代でもあったと思います。


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