どんなに対策してもそれは穴埋めなのだ

シンデレラコンプレックスと言う言葉に出逢ったことがある。

詳しいことはよく分からんけども、それと出逢ったときは「繰り返すんだ」ってそれだけ感じたのね。

これ、マイナスからのプラスとおんなじなんだけど、自分を振り返ったとき何かしら反省?てか、不足だったと思ったことを「絶対自分の子にはやらない」って心に決めて子育てしたりする。

と、思われる。

でもね、心の奥底には「何かしらの反省」という、それが嫌だった何かがあるもんで、何よりも強く意識してるのよね。

知らないうちに、強くつよく。

で、それが起点なので、いくら「こうすると大丈夫」的な方法があったとしても、マイナスからのプラスなので、うまく向かないのだよね。

それどころか、イラつきます。
なんで!なんで!って、外側にその元となるものを探しちゃう。

実にもどかしい。
わたしが、これに気づいたとき、どっかーんと風が吹いて、目の前明るくなったとさ。

なによりも
自分の感情をベッドにうやうやしく乗せることが優先。

そして、マイナスからのプラスでいる限り、シンデレラコンプレックスもまた繰り返されるのだと、思う。

何か、誰か、に学んだわけではない。
本も読めない、メディアも鬱陶しいから経っている。
わたしの中のから湧いてくる、記憶の中から現世の経験とまぜまぜして、やっと2023年にはっきりと言葉になっとる。

で、書いとるのだな(笑)

置いといて(笑)

で、何千年と繰り返す心の問題はその穴埋めがもたらしてるんではないのかな?って感じてしまったのだよ。

しらんけど😆

世の中のなにか
世の中のだれか
目の前のあなた
よりも

目の前のわたし
自分という他人のわたしが
プラスからのプラスになること。

目の前や世の中をどうこうしているばやいではないのだ!!

そな、遠回りなことやってる場合ではない。
この肉体の期限はそんなに長くない。
よそのことに囚われてるうちに、本来やるべきことが間に合わなくなっちゃう。

話は飛ぶが、
こどもはそもそも「他人」です。
別の存在で、産まれた時から「個人」です。

歩き続ける、周回軌道がおんなじなのは「パートナー」だな。

もし、いやで嫌で仕方ないことがあるとすれば、それは自分のテキストで、早かれ遅かれそれと覚悟を決めて向き合うしかないのだー。

あーしんど。

逃げ回った結果のわたしの答え。



一つ向き合ってゴール!なんてものはなくて、必ず次へと進むからして、終わりなど、ない。


でもね!
あー😩もー😤これしかないのか😭となった時からのわたしのわたしとの出逢いは深まったのだ。

人は結局、植物と同じ「光に向かって生きる」、そして枯れるのだよ。
一生懸命に根を張り上に伸び、葉を広げて蕾をつけて花を咲かせる。

その度にストレスという何かがあるだけ。

産み落とした子が所有物ではなく、こどもも同じくいろんな環境の中地に足付けて自ら養分を吸って「生きる」。

わたしが出来ることは

信じて待つ


これに尽きるのだ。以上(笑)

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