ネガティブなことは「わたしの成長」のソースなんだって、気づいた話。

手の爪を切りたいなー

今朝は薄いジャンパーを着てわんこの散歩でしたよん。
なかなかに寒待った。
わんこは暑さから逃れられて跳ねる跳ねる。
毛皮脱げないもんね。

と、どうでもいい話から始まるうずまき🌀は都合よく生きれているなーと感じる朝を迎えております。

珈琲は自分で焙煎することもう3年を過ぎた。
このクソ暑い時期は鍋焙煎は出来ず、それでも好きな珈琲は欠かせず。
ま、生活クラブの豆を毎週仕入れられるのでそれで済ませてきたが、、、、

暑さが治ってきて自分で焙煎すると、やっぱり美味しい。
何が違うのかな?
市販のでも、自分の焙煎豆を混ぜるとちょうど良くなる。
不思議だなー


でさ。
水平線が見えるというか、
水平線というか、どこまでも続く水面なのか地面なのか、分からないとりあえず、区切りのあるところにいて、写りあってて自分が線対象に存在している感覚なのね。

伝わるかな(笑)

どうやら反転したらしい。
特に何も無いけどもーと思ってた。
でもね、考え方ってのかな?
早目に違う解釈が生まれるようになったのだよね。

あと、これまでだったら
嫌だーと思うことが目の前に現れても(大体繰り返し)、何かでカバーしようとするとか、どーにか変換して「なかったこと」にしてきた。

でも!

あ、そうそう、これこれ。
と、それに対して「思ったね」と真っ直ぐ見ることが出来たのだ。

何が起きたか?
それはつまり「完全にジャッジしなくなった」ということだと思われる。

実際、頭では「ジャッジしない」と決めていた。
でも、体のどこかに「ジャッジするということは否定」だと感じているから、否定の否定で結果ジャッジしてるのだ(笑)

ややこしいが、そういうこと。

それが、完全になくなった。
完全かどうか?
なんだろ、、、そう、もうここに戻ることはないなってなんとなくそんな気がするのだ。

不思議ー

だからね、自分が「むむむ」となんだか頭の中で感じたことがあるとしたらね、逃さずに捕まえるの。
今までそんなこと出来なかった。ってか、それが嫌だった。

何がいや?

自分のネガティブと向き合うのが、
自分がそんなことでネガティブになっていることの事実を見つめることが出来なかった。

ということかな。

で、ただそう思った。
で、そう思うことの「素」な何かな?

と、自分の中にあるわたしと話す。
すると、わたしでない「何か」が物理的に返事したりする(笑)

例えば、猫とか、樹々のささやきとか、ものが落ちるとか、誰かに声を掛けられるとか。聞いてなかったけど、一瞬聞こえたラジオの言葉とか音楽とか。

それらをキャッチし始めたのだ。
わたしでない何かと書いたが、自分が見ている世界は「全て自分」なので笑笑

見える「答え」なのだろうと、思えるようになった。
ってか、そんな風に受け取っていきていたことを思い出した。

誰かと何かを交わす時、必ずなにか「ある」。
でも、それらは「わたしの成長」のソースなんだって、気づいた。

だから、出来事が起きたらそれはワクワクでしかないのだって。

なんだろ、この感覚。
めっちゃおもろい😆


そうか、、、。
そういうことだだったのか。

いかん、、、
また、人に対して「前のめり」になってしまうじゃないか笑

うざい笑


最近起きる現象がね。
あ、ちょっと忘れてた特技なんだけどね(笑)

勝手に自分の悩み事を話し出す人が現れるのよ(笑)

聞いてないし笑


さ、今日のお仕事始めますかね!
今日のワクワクはなんだろ!

うずまき🌀どんどん解れていく〜

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