好きなように生きたらいいんじゃないですか。
体内から?
脳内から?
聞こえてきた。
と言うことで、欲しかったYogiboを買ってしまった笑
気がした。
さっきまで、AEONのYogiboのことで頭が一杯だった。
Yogiboの支度ができるまで、小腹を満たしにフードコートにいた。
スキをくださった方の記事を読みながら食事をとっていると、、、、、
ダメだ、涙が。。。
お母様との闘病一年と残された遺書までを記事にされたもの。
途中まで読んでは閉じて、また落ちるいたかと思って開けては閉じ。。。
そうか、わたしはこのへんのことを封じているんだ。
自分も遺書を書いたことがあってね、死ぬことなんか怖くないやってみないふりをしている餓鬼大将みたいなこと言ってたんだ。
大声で泣いて、叫んでもいいんだ。
思いっきり泣いて駄々こねてもいいんだ。
大人しくて、いい子を演じなくてもいいんだよ。迷惑変えてもいいんだよ。
もう、我慢するのはおよしよ。
誰かが痛みを変わってくれるわけでもなし、その喜びを奪うわけでもない。
ただ、自分が喜んで悲しんで一杯感じればいいんだよ。
遠慮しなくてもいい。
存分に味わっていいんだよ。
うーんと、手のかかる悪い子でいいじゃないか。
手がかかる子が悪い子なのか?
そんなの、その人次第じゃないか?
世の中にはメンヘラ好きもいるじゃろーし(笑)
いい悪いってなによ?
上り坂下り坂の法則と一緒じゃん。
どっちも同じ。見る方向が違えば上りも下りも同じだよって。
どうだったいい。
自分が喜びと感じることを放棄したような脳内になっている。
これを取り戻すぞ!
ネガティブの蓋を開けたら、なんとネガティブで脳内占領されて汚染されてしまったのだ。
面白いくらいに、ネガティブに物事を捉え始める。
いやいや、違うじゃんないか。
事実じゃない、それはネガティブを捏造してる!!って(笑)
簡単ネガティブ製造機となっている。
わたしの脳内何色だろう。
今、生きてるだけで十分幸せなんじゃやん。
「在る」を見つめる宿題のテストをされているのかというような記事にいっぱい出会う。
思い出して、母の最後,父の最後を書いてみようか。
いや、自分が全身麻酔で、小さなこどもたちへと遺書を書いたときのことを書こうか。
終活ですっかりいろんなものを廃棄してしまった。
それでもいつまでもその記憶は残っている。
しかし、このnoteを忌野きわでどうするかを先に考えておこうか笑。
家族には見せていないのこnote。
さて、とりあえずわんこ行ってきまーす🐕
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