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踏ん張っている娘へ。お母さんはずーっと応援者だよ

その人に訪れる経験はその人にとって必要だから起こること。

わたしが今やることって「自分」を絞り出して書くこかな。
このうでがキーボードを打てなくなるまで。ナーンチャッテ

人生はドラマ。
本当にそう。
似通った人生はあるけど、絶対に同じストーリーはない。
同じだとか違うだとかの議論もなんだか変よね。
比べようが無いものね。

架空の人の話しとして書ければ楽ちんなんだけど、どうやらわたしには難しいのだ。

自分ごととしてなら書けるかな。
トレーニングがてらとにかく書いてみよう。


四人兄弟の末っ子で9つ離れた姉を筆頭に2歳下に兄、年子でもう1人の兄。そして、5つ離れてわたし。
まるでひとりっ子で、大人の中で育ったというか。

全く貧乏で、暴力的で酒飲みで稼いだ金はその夜に人に奢って使い果たす親父。
文句も言わず粛々と働く母。
ある時、姉たちから隠れたところでお母ちゃん良く泣いてたって聞かされたことがあった。
わたしは離れているから最もきょうぼうな父親の時代は知らなくて、兄妹の話を聞くしかないのだ。

母が隠れて泣くなんて、全く知らなかった。
わたしの記憶は3歳からで、離れて生まれた妹は兄弟たちにとても可愛がられていたと思う。
早生まれのわたしは、貧乏なのに父親が見栄を張ってか、月謝のお高い私立の仏教系の幼稚園に行かされていた。
窮屈な制服を着て、お遊戯やワークやら。
大きなてんとう虫が描かれたワークブックがあったなー。
指示されて動くのが苦手なわたしには日々が嫌で仕方なかったね。

帰宅すると、家人が帰るのは夜の8時9時。
それまで一人ぼっち。
お腹が空いても、誰もいない。
だから自分でなんとかするしかない。
なので、4才の幼児でも包丁を使って柿を剥くことが出来たのだ。

当時最先端だった電子レンジも貧乏ながらも、わたしのためか?導入してくれておかげで空腹を工夫してこなせていたかも知れない。
よく、大切な食料の食パンをカチンコチンにしてしまってたことを覚えている。

金の模様のお皿とかスパークさせて、怒られたことも。

なんでも出来なければそのひを過ごすことは出来なかった毎日だったね。
それが悲しい出来事だったとしか見えてなかった時は「可哀想な子」という自分を演じていたと思われる。
しかし、よく考えるとわたしは「自由」だったのだ。
日がな一日、落ちてるものを拾ってきては工夫して何か作って遊ぶ。そんなことの繰り返しで、それでも毎日楽しんでいたなーって。

虐待はもっとずっと前からあって、おしっこコントロールが出来なかったわたしは、よくそこらじゅうを汚していた。
親父はわたしのトイレトレーニングに付き合っていた。その時の記憶もある。とてもとても嫌だったと言う記憶が。

人が見えないものが見えたり聞こえたりも怖くて仕方なくて、トイレが怖かった。
だから学校のトイレなんて行けなくて困ったな。
もしかして、トイレが怖かったのではなくて、父親がその時何かした行為によって「トイレの空間」が怖くなったんではなかろうか。
色んな自分を見つけ出して気づいてしまったのだが、どうだろう。もう時効。
思い出してしまったら、行けないような気もする。もしかしてそうだったのかもしれないね、と言うことでハテナのベッドに恭しくのせておこう。

笑い話にしているが、私の絶壁は親父に殴られて出来たと本気で思っているくらい殴られ続けた。

当時学んだのは「分離の術」。
自分の体から自分と言う意識を抜く術。
中に入っていて、最愛の父親に直撃くらい続けたら死んでしまうから、抜いて自分を助けたのだ。

おかげで、今もコントロールして活用出来るのだ。凄いでしょ。
入れなくて、戻れなくて、もがいた時期があったね、戻れて瞬間の体の重さを感じたこと、ちゃんと覚えてるよ。
涙ちょちょぎれたもん。あーわたしの体ってこんなに重かったのかって。

何事も、自分に訪れる体験は自分にとって必要なのだろう。
いやしかし、そんなもの不要でいいのにっても思うねことしばしば。

振り返ってみて、それは今に生きてるよねって探して思い込めればそれは幸せなこととして位置づけできるもの。
結果いつも「おかげさま」の世界に住んでいると言う着地の着地。
そうでないとしんどすぎるよね。

なんとかこじ付けてこれからも上手く思い込ませて自分を活かすのだ(笑)

人類何千年も経過しているのに、いつまで経っても同じような心の問題で暇を潰しているのだが、もしかしてわたしの辿ってきた気づきが誰かの「切り替え」や「気づき」になればいいな。
そう思って、自分の中から搾り出して、絞り切ってカスになって地球に還ろうかと(笑)

全く同じなんてないのだ、だからして人のドラマは面白いのだ。
ちょっとでも自分と近いものがあって共感できると、自分の存在がふわっと持ち上がるような気がして、ああおんなじ!嬉し!って。そう思えるだけで「自分の存在を肯定」できるのだもの。

今、もし、困難に出会っていたとしても、少しズラして他人事みたいに認識するのもいいかも。
直撃を避けて、自分を生かすことを優先するのがベストかな。
それって選ぶとかではなくて、自動的に自分の中の細胞レベルで実行するのかもしれないよ。

だから、自分の体を信じてみることかな。

昨日ね、長女が素敵な話をしてくれたの。

人っていっぱい、いっつも荷物を体に乗っけて生きてるんだって。
だから、人の荷物を持つことなんてできないのね、だってもう抱えきれないくらい持ってるから。
まずは、自分の荷物を下ろすことを優先しないと人の荷物を持ってあげることできないんだよ。

そういってた。

みんな抱えすぎなんだって(笑)


なんで、誰に、どこから、なにを。
誰かに抱えられてる訳でも無いのに、一生懸命持ちきれないのに持ってるらしい。

共感してあげれないって嘆く自分に共感してあげるのもいいね。

自分と言う他人に、自分がされて嬉しいことをしてあげる。
自分を他人だと思って最大級のもてなしをする。

日々、お尻を叩いて「働け」「怠け者」「価値ある人になれ」「稼げないのは無価値」って奴隷のように鞭打ってるなんて酷いさね。

でも、これも好きでやってるんだからしょうがないよね(笑)。

わたしときたら、自分から搾り出そうとしてるわけで,やっぱり働かせてるんだよね(笑)

でね、今朝感じたことは「稼ぐため」とかじゃなくて、こりゃ急いで搾らんとわたしの汁は枯れてしまうど!!って。
枯れるというか、体が動かなくなる前にやっておかないと?って言う気づきなおだよ。

後悔しても出来なくなったものは仕方ない。
後悔先に立たずだもん(笑)
人生前倒しなわたし、今出来ることを時間や体力を惜しんでやろう。

娘や息子夫婦にしてやれることは、美味しいもん作って、あったかく寝かせてやること。
仕事とかそんなことどうでもいい、健やかに存在してくれることがわたしの唯一の願い。

他人の荷物よりも、あなたの荷物を降ろして、生き生きとしてくれ。

でも、今、君に訪れている体験は君が何かを学びとりたくて目の前に引き起こしていることなのさ。

わたしは、応援する。
死ぬまで、いや死んでも、ずーっと応援者だよ。

きっと何度生まれ変わっても近くにいるはずだから、ずーっとずーとね。



ほな、月曜日にチョコレートケーキも焼くとするわ。
ショートケーキも焼くわな。
楽しみに帰っといでね。



生きろ。


耐えるな。
逃げていい。
そんな言葉をかけたところで、彼女の救いにはならない。

そこから逃げた時、そこには後悔しか残らないって知ってるからだろうか。

彼女の小さな「他責」が「自責」に変わった時、解決の糸口が見えるだろう。

わたしはそう信じて待つだけ。

あなたが美味しそうにチョコレートケーキを食べる姿をイメージして。

お母さんより

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