「自分」ってなんやろ?大切に傍におこう。実は一番、、、

思考が腐ってきた(笑)

我思う故に我あり

これは
「わたし」と思うから「わたし」があると言うこと。

おらんとも思われへんけどな(笑)

もとい。

「これが自分だ」という思い込みに振り回されるなと言うことなのだろうか。

ポンコツなうずまきとしては、
ほんまそれ〜と大共感である。


しかし、脈々とこんなことを「嗚呼」と気づくのなら、本当人間って暇つぶしに生きてるねーと俯瞰してしまう。

記憶を持ったまま次の体に行きたいとマジで思う。


で、今朝わんこと早朝散歩していると「もしかして『自分』に囚われてないか?」と湧き出た。


ま、きっとうずまきの記事を通り過ぎた人はすでに感じておられるだろうが笑


もしかして、一番どうでもいいのが「自分」なのかも知れん‼️と思ってしまったのだ。

どうちよ笑笑

みんな自分のドラマの中で生きてて、その中身については共有不可能で、話を聞くほんの一端をすれ違わせられるくらいの
共鳴。

その中身は本人の思い込みでできてるとしたら、そもそも「作りもん」。

どないでも出来ようなもん。

このnote内でも、現実通りに表す必要なんて全くない。

ある意味、何かいても構わない。

歩きたかった人生を想像して好きに書いて、新しい人生「たられば」があるならやっちまえばいいのだ。

それを小説とか言うならば、それでいい。


何を選択するのかは、自分次第。
現実に投影するかも、自分次第。


となると、今「これが自分だ」と思って創っている「現実」は、いつでも創り変えられる「どうでもいいもの」なのかも知れない。


どう?


なんか拘ってた自分が可愛く見えてきた。


俯いて、死人の行進みたいに歩いていた「過去に向かって歩くブレーメンの音楽隊」に触れて思った。

わたしはこの列にはいないな。
未来に向かってるつもりで、過去に向かって後ろ向きに歩くこんな列は変だ。

ってちょっと
中に浮きながらはっきり感じたもん。


分からないから「未来」マダキテナイ。

過去ばっかりほじくってたって未来は作れない。
偉人さん方の残したお言葉にいちいち感激するって、

なにも変わってない

ってことだぜ。

おばかでポンコツで阿呆が自慢のうずまき🌀くらげ🪼は「自分」を大切に「傍に置く」よ(笑)

ぬはははは。

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