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魂を揺さぶるもの

かさぶた、だいぶん取れてきたのかな?
目に映る物が「全部不用」に見えてきた。

SNSで感じることは、「共感」や「それはわたしでないもの」と言う物が好まれるようだと言うこと。

共感は、自分の過去や現在で身に起こっていることで感じたことがある、今絶賛感じ中で、感情が揺さぶられること、かな?
そーそー!同じなーって言うことであろうか。

それはわたしのものではないわ、は完全な他人事ということなか。
例えば、何か映画の中のセリフにあった「病気・こども・動物」を題材にすれば大体人は食いつくってやつ。
そのセリフの瞬間にわたしはめっちゃ「共感」した笑

可哀想と思わせる。
自分はそれよりも一段上にあると言う感覚にさせることだろうか。
頑張れって思わせる。
これも感動を呼び寄せる。自分では出来ないこと成し遂げようとしているそのストーリーを応援しようとするポジションにたたせてくれる。

「一杯のかけ蕎麦」がビューンとなったのは、それらの要素が詰まっていたからだろう。

自分の境地よりもしんどい人を見ると、大丈夫になれたり、奮起の材料になるらしい。

そうやって、モチベーションを上げないといけないもんかなw

ただ、のんびりと生きらればいいだけなのに、刺激が欲しいんだよね。

一気にいろんなものから「色」が褪せてしまったうずまき。
何を求めて、何を望んでいたのか?

それらは幻想で、自分には不要なものでしかなかった。

ないかのせいにして生きてきた。
良くも悪くも、なく、他にあてがなかったのだから仕方がない。
しかし、それに気づいた今、軌道を修正する必要があるのだ。

「一旦ゼロになる」

と、ずっといいながらも「ON」、つまり乗っけて、加算し続けてきたのだ。
もう、荷物は要らないのだ。
減算して、引き算で荷物を無くしていくことなんだよね。

余計なことして時間を潰してきたな。

魂の喜ぶことを選んでもいいんだよ。
もう、神(自分自身)はお許しくださったのだよ。

そんな「想い」が溢れてきた気がする。

わたしの魂を揺さぶることができるものはなんだろう。

誰かの人生のしんどさにほぼ共感できなくなったわたしは、優しくなくてひどいやつなんだろうか。

みんなそれぞれ、自分の世界で生きている。
良くやったね、しんどかったね、大変だね、頑張ったね、そんなこと言ってほしくて生きてない。

もう、ずっと小さな頃にやってきた(笑)(笑)(笑)

それらは、誰かをコントロールする技として使ったこともわかった。
今、体に言わせなくて自分の口から言いたいことも,やりたいことも言える。
だから、病気は必要ない。

あとは、大きな蓋を開けるのみ。
わたしの魂からの叫びを、わたしが受け止めるタイミング。

こ、怖いじゃないか(笑)

早朝真っ暗な中わんこと散歩に出る。
うすーい月と金星が輝く。
冬の散歩の楽しさはこれだね。

早起きしたいと思わなくても勝手に目覚めるから、目覚ましなんかもう54年
使ってない。

うそ笑笑
過去に五回くらいはセットしたことがある。
でも、いつもなる直前で止めるくらい緊張してしまうので、セットしない。

体内時計をセットしている。
というか、時間に支配されない生活だから、そもそも必要ない。

そう、わたしはすでにそいう暮らしを手に入れているのだ。

この「自動的ネガティブ思考癖」を終わらせることがさきだね(笑)


タイトルに惹かれて、間違って開封しちゃうのか、自分を変えたいと思っている人が増えて「答え」を探している人が多いのかわからんが、気持ち悪いくらいにビューが増えている。

足跡が残らないビュー。
何が知りたいのだろうね。

全く寄り添う気がないのか?
うずまきは非情なやつなのか?
ま、どうでもいいけど笑


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