発信することの難しさ

ノートの登録をしたのはいいものの、しばらく記事を投稿するのをためらいました。
ちょうど何か投稿でもしてみようかなと思っていた時に、フリーアナウンサーの方が男性の体臭が苦手というような投稿をして炎上していたのがニュースになっているのをみかけたからです。

体臭という人によってはかなりセンシティブなテーマだったので、炎上したというニュース自体にはそこまで驚きはしませんでしたが、その後事務所を契約解除されたというニュースが出たときはビックリしました。

フリーアナウンサーというのは人気商売なところもあり、普通の会社員とは雇用形態も違うのだろうとは思いますが、ネット上に何気なく投稿した結果、契約解除までの事態に発展するというのはなかなか厳しいなと思った次第です。
たしかに人を傷つけるような内容だったのかもしれませんが、特定の個人を攻撃したものではないですし、犯罪行為とはいえないことでも契約解除になるのだなあと。個人的にはちょっと不寛容すぎないか、こうゆうのが生きづらさを助長する原因なのかなとも思ってしまいます。一方、なんでもかんでも許されてしまう世の中も真面目に生きている人からしたらちゃんと取り締まってくれよと思ってしまうだろうし、きっとそうした基準は人によってバラバラで・・・、答えが出なくて難しいですね。

ただ、こうした例は極端なものですし、私はフリーアナウンサーというわけではない(上記はフリーアナウンサーという業務の性質も鑑みて契約が解除されてしまったのかなと。普通の会社員だったらさすがにこれくらいで解雇になったりはしないと信じてる・・・。)ので、ある程度気をつけながらボチボチ発信していこうと思い、やっとこさ投稿を始めました。

同じ内容を発信しても発信する立場、媒体、書きぶり、伝え方、時代の流れ・・・などの色々な要素が絡み合って、適切・不適切という判断も変わっていくので、これで絶対大丈夫ということもないのが難しいですが、そんなことを気にしていると何も書けないので。

私が好きな番組の「水曜日のダウンタウン」も割と炎上してる印象だけど、そうゆう番組だからというイメージで許されているところもある(と個人的に感じている)し、少し前に流行った「不適切にもほどがある」というドラマも最初にそうした表現をしますよっていう宣言をすることで、逆に笑いの要素として今の時代にそぐわない言葉を飛び交わせていましたし、不適切なことと面白いことは割と近いところにあるのかもしれないですね。

結局何を書きたかったのかわからない文章になってしまいましたが、とりあえず、こんな風に日々思ったことを書いて、自分の頭を整理してきたいと思います。

余談ですが、かなり昔にしくじり先生という番組で杉村太蔵が国会議員当選直後に「早く料亭に行ってみたい、これで念願のBMWが買える」などと発言して世間の怒りを買い、謝罪会見をする羽目になったときのことを語っていて、

「私はね、違法行為をしたんじゃない、差別的発言をした訳じゃない・・・」


「ただただ 失言をしたんです」

と言っていて、ものすごく笑った覚えがあります。
謝罪会見当時に杉村太蔵を叩いていた人もしくじり先生でみたときは笑ったんじゃないかな。

ではでは。


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