#夢の続きを27

26は番外編、だから25の続き、かな。
1990年あたりだと思うけど
相変わらず記憶は曖昧なので時系列は前後したりします。


※全文無料公開ですが
気に入ったら投げ銭してみるのもアリです( ´ ▽ ` )ノ

確か 肺炎/栄養失調で杉並病院入院後、そのまま実家戻った気がする。

自宅、いわゆる とんかつひで の二階の奥の部屋、四畳半。
永福町からどうやって引っ越ししたのか、もうまるで覚えてない。
確か、所属してた事務所の車で運んだような。

冷蔵庫、布団、割れた鏡、TV台、Bandの衣装。
リズムマシン(ROLAND R8) ローランドのMV-30(Studio-M)
Recorder TASCAM688 Speaker 何使ってたかなあ。。。

画像2

画像1

あとはシンセ何台か、だったかな。回線ズ観れば判るかもですが割愛。


〜〜〜


当時の部屋の中 写真1枚も残ってない。
DIGITAL CAMERAもなかったし、携帯もない時代だったな。
Bandの問い合わせ先を僕の自宅の固定電話、だもんね(笑


確か バイトは新宿白札屋、キャバクラ「BLUE-SKY」だったけど
調布に戻ることが決まってから辞めたのを思い出す。
そのキャバには後輩女子が入店して使われていたけど、
奴らどうしてるんだ?(笑

そして戻る。

実家、とはいえ 働かなきゃなあ、と思っていたところ
ひでの常連さんだった 道路舗装会社の会長さんが
「オマエ、明日から来い」になり、
4tダンプを運転しつつ道路工事の仕事をした。


あれで道路のしくみを学んだけど、いまじゃタダの雑学(笑


道路工事は17時に終わる。ので、即着替え吉祥寺に向かい、
BARTENDERを25時までやり働く。

暇な店だったけど、散々お客サンに呑ませて貰ってた(笑 
ここで酒の味を覚えたと言っても過言ではない。
しかも食事はあたしが作ってたのね、簡単なヤツだけど。

閉店後、店長を杉並まで車で送り、甲州街道爆走して調布に戻る。

そっからまた、朝まで曲を作り、道路工事に行く。
若さゆえ出来た事だけど、全然楽しかった。

あれ?これ19.20の思い出か?

まぁその頃から

 人間、努力と気合いだけでは上手くいかない。


って事を感じ始めてたな。


PANDORAも辞め、事務所も辞め、ただのフリーター。
たまにBand活動はしてたけど、動員は少なかったかな。

※今年でPANDORAから30年みたいだぞ
(゚∀゚)アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!



とはいえ90年代初頭は まだバブル景気みたいなのがあって
¥持ってるヤツは持ってたりしてたしな。
まるで羨ましさはなかったけど、相変わらず激貧乏は変わらず(笑



そんな中、懸命にLiveはやっていたけれども
Band活動にも煮詰まりを感じてくる。



歌っていてBassLINEが気になって仕方ない。
要は歌いにくい、のだ。

散々話合もしたけれど、向いてる方向が違う。
テクニック的にも理想ではない。

鬼か!と思われても、自分の理想で出来ないなら
どちらかが折れなければならない。

最終的には彼に抜けて貰った。



Guitarの彼も、Guitaristとしては「ドヘタ」な部類だが
曲を作ってる、のだから在る意味カナメだ。
※MissingPeaceで最近出したDEMOはこの頃の、だね


そしてその当時、「こいつのBassならいいな!」なヤツに出逢ってるのだが
ある日のRehearsalで そいつが持ってきたのは何故か Guitarだった。。


そして迷走が始まる。。。。。



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