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定年を迎えて

2020年12月11日が最終日出社日。今日は、仕事に関して、このとき、この気持ちを残しておこうと思います。

1.定年の年になったとき

私の場合は、会社の社外転身支援制度の利用(定年の場合は、つまり再雇用を希望しないこと)による定年(60歳誕生月末)退職。この制度を利用できること自体が恵まれていると思う。

制度利用による退職が手続きとして決まったのが2月。そこから、今年は特にコロナ禍の状況でリモートワーク主体になったこともありつつ、業務のボリューム的にも期間的にも例年になく厳しい状況のなか過ごした。かなり孤独感を感じた時間も多く、朝から深夜まで、連続した働く時間を積み重ねた。そうでなくてはとても終わる量ではなく、定年で辞める年とはとても思えない、本当に辞めるんだろうかって感じ。

2.引継ぎに向けて

引継ぎを念頭に置き始めて、その方面で具体的に動き始めたのは半年前。自ら言い出さないと、誰も準備するわけではないので。何を引き継げばよいかを考えた。それも、当然ながら業務と並行しつつ。

私の場合は、開発を担当した数十コースの教材について、監修者関連、教材仕様関連、資料のありか等々、必要な項目10数項目についてピックアップしてまとめた。私がいない前提として、その教材に関する問合せがあったり、何か業務を進めるときに困りそうなことを想像しながら、の作業。

3.ご挨拶いろいろ

直近、1ヵ月くらい前から、教材の監修をいただいた方への「退職のご挨拶」をスタート。とはいっても、この1年くらいでご連絡をとった方に絞って10数名くらい。お一人ずつにエピソードを考えながら、少しずつ隙間時間を使って連絡を始める。その次に、2週間くらい前から、取引先や制作会社へ、社内へは直前に、といった感じ。10月末に訪問できた1件を除いて、基本はすべてメールでのご挨拶になってしまった。これもコロナ禍の特徴で致し方ないとはいえ、やはり会ってお話するほうが、気持ちは共有できるかな。

その間、社内外、オンラインでの会議で挨拶もあり。実際、リモートワークが増えていて、社内でも会えるかどうかスケジュールを確認する必要があったり、今年はこれも独特だった。

最終日は、社内を歩き回り、なじみの方に声をかけて回り、最後は部門のスタンディングでの集まりで挨拶させていただいた。社内は、翌週からフリーアドレス化するということで、その準備もあって、割と多くの方にお集まりいただいた。私自身はあまり得意ではないが、コロナ禍のなか、多くの人一同に向けて感謝を伝える場があったことはありがたかった。

4.エピソード

その集まりでお話したエピソードは、30数年前の最初の仕事。博報堂の九州支社の方を監修として『企画書の書き方コース』という通信教育の教材を企画したこと。最初に出会った監修者がこの方で良かった。そしてその方に評価いただいたことが、私がここまで仕事を続けてこれた大きな要因の一つといえる。しかも、仕事が終わった後、丁寧なお手紙もいただいた。メールのない時代だったからこそかな。

そのくらい人に影響を与える可能性があるということを、中高年になった今、意識したい。

ほかのエピソードは、笑いを誘うものになったが、お医者さま方ばかり数名に監修をいただいた教材。これも30年近く前。「医者の文章を直すとは何事か!」と怒られた。いや、それが仕事なんで、、とは言えず、でも、事情は説明した。ほかにも、お医者さんがらみでは、心療内科の先生のご機嫌を損ねて、慌てて菓子折を持ってすっ飛んでいったり。制作と監修者がもめたり、こういうあれやこれやの乗り切り方に、マニュアルはない。あるとすれば、「すぐに!」「丁寧に」「誠実に」それを積み重ねてきたと思う。だから、今、ほとんどのもめそうな前兆に気づき、トラブル系のことに驚くことがなくなった。

5.人の気持ちへの気づき

直近1ヵ月くらい、引継ぎと挨拶がメインのようになっていたが、そのなかで、特に思ったことがある。

それは、返信いただくメールや、直接、席でお話するとき、それは、メールの文面であったり、お話のなかの表現であったりするが、そこから、その方の気持ち、仕事ぶりをどのように見ていただいていたのかが、十分すぎるほどよく伝わるということ。なので、「型どおり」に送らないほうがよいということ。普段の仕事では、そこまでの振り返りの言葉はないので、やはりこれは長年勤めた定年ならでは、だろうかと思う。

私の場合は、仕事で関わるのが、社内というより、協働開発先や制作会社との連携のほうが多く、その方々から、多くの温かいメッセージをいただいた。特に、普段は制作進捗ばかりで、ほとんど私的な会話すらもしたことがない職人気質のメンバーの方々に、「●●さんでなければ、この期間で完成できなかったと思う」というメールをいただいたときは本当に泣きそうだった。いや、泣けた。

このタイミングだからということを差し引いても、過分すぎるほどの謝意をいろいろな方からお伝えいただき、メールであっても、それは伝わるということ、そして、その気持ちを伝えていただける機会をいただけて、それは、今後も私のなかに残る、貴重な財産だと思えた。

厳しくするのも甘えさせるのも、自分次第だと思うが、自分で自分を承認したいと思えた日になった。



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