見出し画像

「協力」より「当事者意識」がほしい

 このタイトル、2021年3月15日号AERAの「家庭内ジェンダー問題」の記事タイトル。実際には、頭に、“夫には”が付く。

 これをタイトルを見て、「あっ!」と思った、そして「そういうことを言える時代になったのかな」と。それでも雑誌だから、表現としては現実よりも先駆けているのかもしれないが。

30年くらい前

 平成2(1990)年頃。世の中はまだ共働き世帯のほうが少なかった頃。専業主婦世帯を共働き世帯が上回るようになったのは平成9(1997)年。24年前)(添付図:男女共同参画白書(概要版) 平成30年版より)

画像1

 20代で転職した会社で、直属の上司だった人は、中学校の先生をしている奥様と共働きだった。毎朝、子どもの弁当づくりもすると聞いてかなり驚いてはいたものの、その当時は、夫婦の力関係かくらいの感想だった。

あるとき、結婚したての同僚が言った

 得意げに「家事にも協力してるし・・・」と、いろいろ家事をやっていることを語っていた。それを聞いていたその上司が、「協力なんて言ってるうちはダメなんだよ! 一緒にやるっていう気持ちじゃないと」と言った。

 「えっ!?この人、ホンモノだ」と感じた。その頃、そういうこと言う人いなかったし、家事に“協力“している夫は理想的で、拍手される対象だった。全く家事はしない!ということに比べれば理想的だが、その上司はこと家事についていえばレベルが違うぞ、という感じ。

 そのとき、この「協力じゃダメだ」という言葉は、大げさに言ってしまうと、私のなかの価値観にすら影響したと思う。自分が共働きになり、長い長い弁当づくり期間を経てみて、今でいうイクメンのはしりである夫が協力レベルは超えていたことを踏まえても、この発言をあの時代に言っていた人を尊敬する。 

それにしても、30年後の今

 まさに、記事タイトルのとおり、協力と言っているうちは、当事者じゃなく、あくまで、“妻がやるべきこと“に第三者的に関わっているだけなんだということを、そのとおりだと共感できる人のほうが増えてるのだろうか。

 記事内の中身を見ると、「家事育児に協力的でも急なお迎えは妻」「女性というだけで不当に扱われる場面は「家事分担の話し合い」」・・・、なんだか30数年を経て変わりきれてないのかなとも思う。

 背景は、ジェンダー意識というだけの単純な話でもないが、わずかな希望としては、夫の側にも理解者は増えていそうだということと、建前上であっても制度自体は整ってきていること。

 少なくとも、こうした話を取り上げることが社会の話題にもなっていることは進歩なので、諦めずに取り上げ続けること、そして子育てする側に立ったとき、その意識を持ち続けて、子どもにも伝えること、自分にできることなのかな、と思う。  


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?