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日記18

最近はこうして日記を書くことで、自己療養を試みている。
自己療養を通して、自分のことをもっと知りたいと思っている。

佐藤究『テスカトリポカ』を読んでいて、つくづく人間って意味不明だなと思った。作中では、色んな友達に騙されて、思わぬところへ堕ちていく人間がたくさん登場する。彼ら彼女らは、その相手と「知り合わなければ」そんなところへ行かなかった。

友達
勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人。(「デジタル大辞泉」より引用)

学校現場において、「友達」は無条件で「良いもの」として語られることが多い。しかし友達に関係した生徒間トラブル…人間関係のトラブルの多さには、目を覆いたくなる。相手と近づく場合には、リスクが伴う。この部分の認識が致命的に欠けているように思われてならない。

大辞泉による「友達」の定義を見てみると、そこに「良い悪い」の意味づけはなされていないことに気づく。無条件で善と決めつけられるほど友達は単純なものではないらしい。「同等の相手」との「交わり」を自分の人生の肥料にできる人間は友達をたくさん作れば良い。そうじゃなければ、一人でいれば良い。とういうことではダメなんだろうか。

この「同等の付き合い」が上手にこなせる人もいるし、その逆もいる。運動が得意な人もいれば、読書が得意な子もいるように。一人として同じ個体はいないのだから、全員に同じ価値観を植え付けると、適応できない不幸に見舞われる人たちが立ち現れてくる。

僕は友達付き合いが致命的に下手だ。アラフォーになった今でも、依然として苦手だ。自分自身が最も気の合う友人であるから、他人は必要無いのだと思う。

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