OVERTURE〜TOP HAT覚書1

TOPHATを観劇した感想、今作は自分の感覚の上書きを躊躇いあまり他人様の感想を追わなかった。
まさに"スフレのような"ふわっふわの、そしてキラキラの多幸感を感じた方が多くいらしたと思う。

が、実はわたしが一部TOPHATを見るまえの友人知人に会うとき、意識して伝えておいたことがある。社会的問題に関心の特別高い人達へ。もし引っかかったら作品を楽しめなくなるかも知れないと危惧したから。

念押ししておいたのは以下。
①TOPHATの原作は1935年の米国娯楽映画であり、2011年の新作ミュージカルとはいえ、かなり忠実に作られている。
②当時の社会的意識は現代とはかなり異なる。
③女性軽視、人種差別、階級意識、苛々ポイント満載だけども、それをぜーんぶ無視して頭空っぽにしてただ楽しんできて欲しい。全部無視する価値がちゃんとある。
④この作品は深く考えてはいけない
⑤絶対に深く考えるべきではない


深く考えた瞬間、夢の世界は闇に呑まれるからである。


たとえばまずはアルベルト・ベディーニ。
ラテン系男性のアイコンとして、背がチビで、肌が浅赤黒く、巻き毛で、鬱陶しいほど情熱的でしつこく、勤勉じゃなく昼寝ばかりし、英語もろくに話せないから会話にならない。
対する恋敵かつ主人公のジェリー・トラヴァースは白人系アメリカ人ショーマンで、身なりが良く足が長く、タップもソシアルも非常に上手く踊れ、誠実で、ジェントル。英国紳士の中に入っても見劣りしないどころか彼らに一泡ふかすことが出来る。
当時のアメリカ娯楽映画を作っていた人達はもちろん大半が白人系アメリカ人。

ホテルのメイドにすら黒人は登場しない。
人種隔離政策、所謂"ジム・クロウ制度"をご存知だろうか。日本人には馴染みがないかも知れない。
白人と黒人を別々に隔離する制度で(三宅健主演舞台"二十日鼠と人間"において、黒人の住まう馬小屋に入ってくることに驚く黒人の描写があるのも、これでより理解し易いかと思う。この作品が発表されたのは映画TOPHAT公開の2年後、1937年。)、1896年米国最高裁の「平等であるなら隔離は差別とは認められない」旨の判決により黒人差別が正式な制度として正当化された。これが覆るのは58年後の1954年、つまりTOPHATが公開された1935年の米国はまだこのジムクロウが存在するような世界だった。黒人は同等の人間とは扱われない時代だ。(第一幕の舞台である英国の奴隷制は1833年廃止だがそれ以前に奴隷として連れてこられたアフリカンの末裔は居住していた。しかし白人様社会英国では現在に至っても有色人種を見たら平気で悪口、話しかけられても無視したり、英国生まれの英国人に対しても白人じゃないあなたは英国人ではない!でていけ!と罵声を浴びせたり、白人の子供たちが笑いながら有色人種にもの投げたりするのなんかざらに見る、なんて有様なので、1935年当時、推して知るべし。)

ちなみに映画冒頭の印象的なシーン、静粛にと看板のかかげられたクラブ内で退室前にタップを踏み鳴らすのは厳粛な英国貴族紳士諸君への、ショービズ大国代表としての矜持であろう。ジェリー、カッコイイ〜〜!

裕福で知的で心に余裕があり、センスが良く、才能を持ち、恋に生き、ユーモアも理解する。素晴らしき白人富裕階級。素晴らしきアメリカ。
米国の人々の憧れの化身、それがMr.トラヴァース。

彼が愛するのはMiss.トレモント
白人系アメリカ人で、金髪で、綺麗で、気高く、しかしちょっとおバカで、なのに男慣れしておらず純粋で、彼の手練手管にコロリと参ってしまう。まさに米国人男性の理想の妻のアイコン。
お馬鹿で気風の良い金髪美女は成功者への勲章。
ホレスの20を2枚とね、のギャグにイラッとした人は少なくない気もする。
(夫が挙動不審であることを怪しみ叱責するリアリティある妻マッジは、いまいち美人キャラではなく、夫から金を吸い取る金遣いが粗く財産目当ての怖い人物として描かれている。)

ここで2017年6月にジェリー・トラヴァース役の坂本昌行が主演した前作「君が人生の時」を思い出して欲しい。
舞台は1939年10月、TOPHATから4年後の世界、人種のるつぼサンフランシスコ。
劇中に登場する美女キティは、デイル・トレモント同様に白人系アメリカ人で、綺麗で、気高く、恐らく同世代。しかし彼女とは真逆の女性である。
利口であるが故に自分の抜け出せない境遇や過去に苦しみ格闘し続ける、誇り高き場末の娼婦キティ。まともな世界に生きる自分を夢にみながら、高級ホテルの部屋は柄になく居心地が悪いと場末の売春宿に戻りたがる。
キティは自分に優しくするジョーを警戒し、信じた後は神のように慕い、不器用ながらに無欲に全力で愛情を注ぐ文無し無職の青年トムに絆され結ばれる。
娼婦の彼女を最高級のホテルに転居させたジョーの台詞は"だってあの子はロビーにたむろしてる社交界の女たちより、ずっとあそこに相応しい人間だからだよ"
いつかの日、ジョーが横目にみたロビーにたむろしていた人々の中にはショーでサンフランに訪れた社交界の華、モデルのデイル・トレモントがちやほやされ微笑んでいたのではないか。
またジョーと束の間の恋に落ちる既婚者メアリーは欧州と何度も往復できる社会階級の人間らしく身なりが良く、男性に合わせた会話をする気遣いが出来、夫がいると正直に告げる慎み深い女性ながら、知的な会話ができ、哀しみを抱え、幸せとは何かを考え苦悩しながら、妻、母親としての役目から逃れることはせず、目の前の恋を言葉遊びだけで昇華させ去る。幻のように現れ幻のように去る彼女は、悲しいまでの現実に生きている。

心優しきニックの酒場にはそんな時代に多種多様な肌の色、国籍、職業の人々が集い、ジュークボックスからは音楽が流れ、キティはそれに合わせて踊るのが好きで、一緒に踊ってと誘われたジョーは踊れないんだ、と断るのである。あのジュークボックスからは間違いなく幾度となくアステアの歌う大ヒット曲Cheek to Cheekが流れたに違いなく、ハリィとウィズリーはニックに貰った駄賃を貯めてアステア映画を観に行って、その時の興奮を何ヶ月も、下手したら何年も、事ある毎に話すかも知れない。
劇中に登場する、社会科見学の裕福層の夫婦は本当にマッジとホレス、または夫妻の友人であっても全く違和感がない。
ジョーは気紛れにふらりと入ったNYの劇場でMr.トラヴァースのショーに拍手と賛を送ったかも知れないが、決して彼を友人にはしないだろう。トムと喧嘩した際のやり取りが煩く眠れないと階下のデイルが苦情を言いに来たとして、彼が彼女に惚れ込むことも恐らくない。
裕福層と貧困層。(二十日鼠のジョージ達はさらにその下の最貧困層といえるだろう)
アメリカの夢と現実。

まあ、つまり、TOPHAT脚本には当時の白人系米国人男性の夢と希望が詰まってるーノ、デショ。
幼い頃から何度もTOPHAT(やアステア作品)を繰り返し観たわたしだけれども、語弊や誤解を恐れずに言えば、わたしが魅了されたのはA.バーリン等の名曲達であり、アステアのダンスであり、アステア演じるジェリーやストーリーではなかった。
夢を粉々に砕くような身も蓋も無いことを書き連ねたが、本当に言いたいことはこの後である。

何故、これだけ人権や迫害差別に対して意識の高まってきた今の時代に観て、偏見の塊みたいな今作をこんなに楽しめ、素晴らしいと思えたのか。
あの多幸感はいったいどこからやってきたのか?

それはバーリン音楽の魅力(ブロードウェイミュージカルにラグタイムを持ち込んだのは、何を隠そう彼!)に加え、違和感のない日本語への翻訳(I'm Putting All My Eggs in One Basketの訳詞の巧みさ!)、美しく手抜きのない、時代考察された舞台美術や衣裳、TOPHATだけではなくブルースカイにロイヤルウエディングにコンチネンタルetc...とアステア映画の名シーンを切り貼りしてこれでもかと劇中に盛り込むマシューさんのとんでもない演出力とケニーさんのアステア映画への敬愛、そして何よりハイレベルの歌とダンス、坂本昌行をはじめとした役者陣に観客に魔法をかけ夢を見させるだけの説得力がしっかりとあったからに他ならない、と思う。

忘れたくないあれこれをメモとともに振り返っておく。主観しかないので不快な方は回れ右でどうぞ。


オーケストラが今作最大のヒット曲"cheek to cheek"を鳴らす中、開く第一幕の冒頭はジェリー・トラヴァースによるブロードウェイのステージ"Puttin' on the Ritz"
ステッキを肩に、背中を向けて立つ彼がくるりと正面に向き直った瞬間、溢れんばかりのカリスマ性を放ちあまりのキラキラに目を見開いている間にショーが始まり、さっと去るジェリーの後をアンサンブルのタップの群舞が床を揺らし続ける。
映画TOPHATには無い場面ながら、ジェリーが大スターであることを観客全員に知らしめる大切なシーン。坂本くんてめちゃくちゃ華があるな…、と初めて観た人みたいにキラキラにやられる。
パンフレットを読むと、ukの初演ではジェリー(恐らくスターになる前の)水兵であった時代に設定がされ"You Can't Brush Me Off" (補足※ボブホープ主演ミュージカル映画ルイジアナPURCHASEの曲。バーリン曲ながら映画はヒットしなかった。)を船上パフォーマンスする場面でのスタートだったがしっくりこず、WE上演にあたりPuttin' on the Ritzを使いたいと労力をかけ説得したとある。水兵でスタートしてしまうと"TOPHAT"なんだか"戦艦を追って"なんだかいよいよわからないな…と思ったりして…6:4くらいになってしまいそう。You Can't Brush Me Off 曲自体は軽快で楽しいナイスナンバーで大好きだけれど、変更は大正解だろう。
本家Puttin' on the Ritzは映画ブルースカイからの切り貼りで、メインダンサーアステアの後ろで8回撮影した8人のアステアが一糸乱れぬダンスを披露するアステアのNo.1ダンスとも言われる名シーン。

ブロードウェイの大スターが出てくる楽屋口で記者達が待ち構えている。マネージャーのモーリスが英国行きについての告知をするなかベージュの帽子とトレンチコートを纏ったジェリーが女性を伴い現れるが、カッコの付け方といい、本当に様になっている。そりゃモテるわ〜!これがしっかり"オフタイムの大スター"に見えてハマるのが坂本昌行の大きな魅力のひとつだよ。わたしもジェ〜リ〜イ♡って体くねらせて出待ちして写真撮らせて貰いたい。とっておきの写真立てに入れて、グランマの想い出の写真の隣に飾る。

映画冒頭同様のSilenceの看板が置かれたサッカレークラブのシーンにていよいよ本編が始まる。
しかし何回みてもどうやったらあの数秒でコートを脱いで椅子に腰掛けTIMEを読むことができるのか…。退室前に踏み鳴らすタップの格好良さとチャーミングさに胸は鷲掴みされている。
運が悪いとぼやくホレスにそれにほら、もうすぐ君のショーが大ヒットする、とポジティブに返すジェリー。ギャグは下ネタながら、坂本くんのインタビューで読んだ"ホレスとジェリーはビジネスの上に友情があるわけではなく、友情の上にビジネスがある"という二人の柔らかな関係が最初から垣間見える。

ホテルの部屋に到着したジェリーは部屋を見渡し、帽子を掛け、ベイツについて雑談をしながら白いストールを畳む。畳み方が丁寧な日と雑な日があったけれど、あれは解釈を変えたのか中の人の気分か…(中の人かな?そういえば一回ベイツもジェリーも物落としまくりの日があったなぁ…どうなるかと思った…笑)

"遠慮するよホレス、これまで恋に落ちたたくさんの男達が結婚の落とし穴にも落ちてきたんだから"
結婚なんてごめんだ自由が一番、とグラス片手にソファに座ったまま歌いだすナンバー"I'm Fancy Free"
両手を広げて青空が見えるように歌うのも実にかろやかにお酒注ぎながら歌うのも好きだけど、やっぱりメイドとボーイが入って来てからの、軽妙洒脱なやりとりが最高!下手ソファの肘掛に腰掛けてメイドのタップを見やってパン、と合いの手を入れるところ!大好きって100万回言いたい。
体力がもたない、というも納得の長丁場の歌とタップ…から次は彫刻とのダンス…と思いきや唐突に映画ロイヤルウェディングのダンスシーンに切り替わる!憎い演出!ハッティとのダンスは振り付けもほぼそのままな感じなので、上書きなんてしないよ絶対村の民じゃない人はぜひロイヤルウェディングご覧いただきたい。
おこ!のデイルが押し掛けてくる出会いの場面、素敵な彼女ね、に対するジェリーの台詞が途中"ありがとう"から"こんばんは"に変わったのは"thank you"の持つニュアンスが日本語にすると変色してしまうからか。
恋に落ちたことを体現するようなソファずるるん、毎回スタイルが違ってどれもめちゃくちゃ可愛かった〜〜!女神だ〜〜!(※男性です)
映画ではポスン、と座るだけのシーンがあんなにチャーミングに……。タップでアップアップ症候群専任のナースになりたい。足のブルブル具合も日により違ったけどオーバーめがチャーミングで好き。
サンドマンのシーンはまず舞台セットが上手い。
座席によってはひたすらジェリーだけを凝視してしまうのだけど、かーくんさんのシャドーと重ねながら観たい。可愛らしく眠りにつくデイルも観たいけど、眼球数が足りない!
ホテルロビーが開いたアンサンブルの歌もいい。まず絵面がいい。オーブだと5つ星だけど、梅芸だと3つ星くらいに見えたのは舞台サイズのせいか。大きな劇場が似合う。


満を持してアルベルト・ベディーニの登場。いきなりあのセリフまわしはなかなか難儀だろうな。
エレベーターから降りてきたジェリーのエレガントさに目を奪われて死ぬまで恋に落ちる。
すごく上手前方に座ると花を買う時の顔が見えて、"これも、届けて"の笑顔のあまりの可愛いらしさに撃ち抜かれる。"花と、靴!"で駄目押しされるし。忙しい。
デイルをみつけてさっと隣に座るタイミングが初日ぴったり同時で、先回りの日が多かったけど、さっと火をつけて消したマッチを灰皿に捨てるまでの動作がいちいちチャーミングでここはドセンで観たい。タバコを吸うデイルもいいんだここは。

"じゃあ今までどこに行ってたのかな〜?"が客席にしっかり通じてる日とそうでもない日の差があったな。客席側の差だけど。毎度のことながら欧州的なトボけたコミカルが本当にハマる。天賦の才。

ストーカー規制法にひっかかるけど大丈夫〜?必死なジェリーが幸せそうに空を見上げて歌う"I'm Putting All My Eggs in One Basket"は訳詞がまず賞賛に値する秀逸さ。タイトルにいる単語のバスケットだの卵だのを使わずに意訳されていて。多分Don’t put all your eggs in one basket.(全部の卵を一つのバスケットに入れるな=リスク回避、財産は分散させろ)からの歌詞だと思う。またそれをなんと心地良くも胸の昂りをしっかりと載せてハッピーに歌い上げることか!

最初の顔を隠した"乗りますか〜おっじょーさん?"には恐怖しかないけど。笑

あまりに長くなりそうなので続きはまた後日。今年中に書き終わる?これ?(不安)





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