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かばん2024年5月号評
ひさしぶりに物語を読んでいます。通勤中に。上橋菜穂子『精霊の守り人』を4日間で読み切って『闇の守り人』に突入中。ファンタジーなのですが、民俗的な要素もふんだんに盛り込まれている上橋さんの世界観が好きで、思い出したように読み返します。上橋さんの物語に登場する主人公には、困難な状況を突き抜ける強いちからを感じます。一方、短歌には困難な状況に寄り添うちからがあると思います。ということで、かばん2024年5月評です。
どことなく民芸品の趣のカブトムシの脚のつややか 藤本玲未
カブトムシの脚は、その体躯に比べて細く長く、つやつやと光っています。それを丹精込めて磨かれたであろう民芸品、おそらく木製の民芸品に例えられた。「どことなく」という遠慮がちな入りによって「民芸品の趣」という感覚が際立ちました。
ぴちぱりと薪が煙と炎立て春の星座を淡く隠した 雨宮司
なんといっても「ぴちぱり」というオノマトペが秀逸です。煙と炎がまっすぐと夜空に立ち上る光景が目に浮かびます。この時見えている春の星座は何だったのだろう。獅子座でしょうか。
なぜパラシューターかTOKIOのジュリーは 滅びに瀕したスーパー・シティー 大甘
ジュリーこと沢田研二。代表曲の「TOKIO」はスーパー・シティー=東京の空から降りてくるイメージなのか、パラシュートを背負った派手な衣装でした。当時は、不思議なリアリティーがあった、という感じが記憶に残っています。TOKYOのキラキラ、あるいはギラギラした魅力だけを切り取った、アイロニーなのかもしれないのです。
遥かなるイーストボーイほんとうの永遠なんてことないことくらい 夏山栞
イーストボーイは、ヤングレディファッションのブランド。制服をベースとしたファッションが印象的です。学校とは関係なく身につける「制服」っぽい服は永遠の十代を感じてしまうけれども、私たちは永遠の存在ではないことも分ってしまう。その距離感が切なく感じます。
きみの弾く連符の中の一音がまちがっている 遠くで春雷 雛河麦
勝手に三連符かなと思ってしまったのですが、一音間違ってしまうと、不協和音的に耳に飛び込んできてしまう。それが、遠くで春を告げる雷のようにじわじわとひびいてくる。耳の中で間違っている音が静かに立ち上がってくる様子が、一字空け後の「遠くで春雷」に込められているのでは、と読みました。春のうららかな日に、習い始めのピアノを聞いている姿も想像でき、ルノワールの「ピアノを弾く二人の少女」を思い出したり。音のゆがみだけではなく、空間のゆがみも感じます。
ダンドリオンだんどりおんと数えても花弁の数に届かずの愛 石田郁男
リフレインが印象的でした。「ダンドリオン」はここではダンデライオン、たんぽぽのことでしょうか。でもググるとダンドリオンには「辛苦」という意味合いも垣間見え、ぼくが感じ得ない思いの深さを想像します。花弁をちぎって数える占いの、すべてをちぎり終えても収まらない思いの深さに、すこし怯えます。
埋めていないタイムカプセル捜すとき髪をゆらすのは風じゃなく息 湯島はじめ
「埋めてないタイムカプセル」は探してもどこにもないのだけれど、なにか埋まっているに違いない、と、前提のない希望を探してしまうさまを想像します。探しているときに髪を揺らすのは、風じゃなくって息、つまりため息とか自分が自分にあらがって乱した呼吸である、という表現に、歌の深さを感じます。
卒業式の式辞は「コロナの四年間でした」満腔のうららかな青空 井辻朱美
コロナ禍の4年間をどこで、人生のどんな段階で過ごしたか。少なくとも四半世紀ぐらいは語り継がれそうな歴史的境遇にいた私たち。その中でも、「コロナの四年間でした」の卒業式の式辞は、ある一点だけを示ししています。これを連帯感と言ってよいのか少し不安ですが、どこまでも広がる春のうららかな青空は、時代すら突き抜けていくようです。
老眼用眼鏡をかけるとみえてくるあるのに見えずにいた時の色 柳谷あゆみ
老眼用眼鏡をかけると見えてくる世界は、近眼の人が眼鏡を掛けて物がはっきり見えるのとは全く感覚が違います。見えてきたはずの自分の近い位置にあるものが、見えていない状況、しかも見えていないということも「見えていない」。実は、見なくていいものが見えなくてすんじゃっている。見えている方が「正しい」はずなのに、見えないことで済ませられる特別な世界を歌っていると思いました。みなさんもいつか見えないものが見えてきます。
検査室にあつた風鈴 風鈴はエアコンの風に揺れてやまない 森山緋紗
今回選んだ歌にリフレインが多いので、自分で驚いています。この歌は、繰り返される「風鈴」が何といっても印象深い。2句目の「風鈴」と3句目の「風鈴」は、同じ風鈴であるはずなのに、一字空けてリフレインされることで、風に揺れてわずかに動いたことが表現されていて、映像のような動きを生む効果をもたらしています。
木の芽どきをおそれながら おそれながらさとみがくれたさくらクッキー 沢茱萸
「木の芽どき」という言葉を知りました。まだまだ知らないことがいっぱいです。。この歌も「おそれながら」が一字空きを経て展開しています。森山緋紗さんの前掲の歌と異なり、こちらは感情が繰り返し表記されていいて、その感情「おそれながら」に込められた意味が微妙に変わっていく様が興味深い歌です。
マジシャンのような手つきで預かった昼食代を小箱に入れる 岩倉曰
手慣れた手つきで昼食代を小箱に入れる。たったこれだけの動作を歌った歌に、さまざまな哀愁を感じます。まず、この動きを誰も見ていない。「マジシャンの手つき」ですので。主体はとっては、満足のいく、無駄のない動き。ちょっとその動きを見てほしい。小箱に入れた小銭は、1、2、3で消えるのか? 消えているかも。
泳げない頃の泳ぎを見てみたい 信頼されることに疲れて 土居文恵
なまじ泳げてしまうから疲れてしまう。頑張り屋さんである主体が、ふと漏らす声にならない声。泳げなかった頃は、なぜ泳げなかったのか、もう体感的には分からない。この気持ちを感じなかった頃の私は、もう私にはわからない。不可逆性という言葉では足らない切なさが、素朴な言葉で歌われました。
読みかけの本ばかり増えこの部屋は行き先のない船のようだよ 大池アザミ
「読みかけの本」は、いろいろな分野の本で、買ったときは気になったりとか話題の本だったりしたけれど、なかなか読み切れないで。。という本が増えてしまって、統一感がない、という雰囲気を感じました。どこに向かうのか自分でもわからない船のようだと。船室のような部屋が、ゆらゆらと揺れているような、不思議な感覚を覚えます。
急ぐべき道で何度もすれ違う黄緑色の大きな車 木村友
「黄緑色の大きな車」はパッカー車じゃないかと。ごみを収集して回っているパッカー車。自転車で(自動車かもしれないですけど)急ぐ道すがら、何度もすれ違う不思議。同じ塗装のパッカー車なんだと思うのだけれども、なぜかぐるぐるとした目眩を感じてしまいます。
伊予柑の鮮烈な香に吾の中の目覚まし時計今年を告げる 悠山
柑橘類の果汁は、覚醒効果があるそうです。朝に食べると良い。この歌では、朝ではなく、今年が目覚めます。この時がやってきたことを嗅覚が感じて、ものすごい勢いで鳴り出す自分の中の「目覚まし時計」を止めるすべは、伊予柑を食べること、でしょうか。
始まりと終わりの混沌渦巻いて東京、東京、寄る辺ない場所 大黒千加
「東京」がリフレインされているこの歌。リフレインの意味を考えさせられます。これ、「京都」に置き換えてしまうと、ちょっと違う。京都は、どっち向いても京都っぽいんですね。千年続いているし。東京は違うのではないか。こんな「東京」、あんな「東京」、始まりも終わりも混とんとしているのに「東京」。それが東京。寄る辺ない場所はずなのに、東京は、いろいろな人に寄り添っているように感じます。
日本語がわかるうなぎとわからないうなぎがいても支障こそなし 小野田光
「日本語がわかる」うなぎ、「日本語がわからない」うなぎ。この設定がすでに出色。「うなぎ」のリフレイン。うな丼として食べる分には、どっちでもいい。支障ないんです。でも、「このうなぎ、ぼくらの言っていることわかっているんだろうか」と思いながらうな丼を食べる感じが、とてもやさしい感じがします。こだわっていたり、気にかけていたりしても、支障こそないのだけれど、そういう気づかいが、いろいろなものを支えているのではと思いました。
ビニールの傘のビニールひっぺがしそれでも傘と思ってさした 土井礼一郎
この歌は「ビニール」がリフレインされています。「ビニールの」と定型で落ち着いた出だしから「傘のビニール」と言葉が畳み掛けられることでスピードが増すようなイメージがあり、「ひっぺがし」で突然放り投げられるような動きを感じます。そのスピード感が、猛烈な風と雨をうけて、あっという間に骨組みになってしまった傘を握りしめている主体を、引きの映像でとらえている感じがします。
たっぷりと湯を沸かすための儀式としてカッペリーニの背丈をそろえる 土井みほ
カッペリーニは、素麺みたいなパスタだそう。作者は海外在住の方なので、素麺の代替品として今から茹でようか、という瞬間なのだと思います。そこで、ちょっとした逆転が。カッペリーニを茹でるために湯を沸かしているはずなのに、トントンとカッペリーニを揃える行為が、湯を沸かすための儀式だという時系列の逆転。おまじないのような行為は、早く湯が沸くようにとの祈りなのかもしれないです。
気になる歌を選んだら、リフレイン祭りのようになりました。特徴を捉えて、じっくり読んでみるのも、楽しかったです。
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