短歌を「読む」ということ
歌の新しさや真価を明らかにするには、良い批評が欠かせない。作品と批評が互いを高め合っていく関係こそ理想と言えるだろう。私たちは歌を詠むだけでなく、批評の言葉も磨いていく必要がある。(「作品と批評」)
松村正直さんの『踊り場からの眺め』を読み終わった。読んでいる最中から、短歌についての僕の考え方が、まさに音をたてて変わっていくのがわかった。
現代短歌に触れて、自分でも作ってみて、歌評も読んでみて、素朴に感じていたのは、その「わからなさ」だった。ときに「飛躍」として評価され、ときに「比喩」としてひょうかされ、ついには「よくわからないが」と前置きされて評価される作品たち。その魅力を確かに感じながらも、果たして、この「魅力を確かに感じ」ていることが、僕の中に実在しているのか、はたまた見当違いなのか、それすら捉えられないことに、漠然とした不安があった。つまり、僕には全く分かっていないのではないか、という不安である。
松村正直さんは、こうも指摘する。
世代を超えた歌人たちが、共通の場に立って、率直に意見を述べ合うことが必要なのではないか。「好き」や「すごい」といった感想ではなく、それを説得力を持って異なる価値観の人にまで伝える批評の力が求められているのだ。(「内向きな批評を脱して」)
わからない僕に、根拠をもって説明する「批評の力」を、僕自身が身につけたい。そう感じた。
ゆっくりとしたペースで、いろいろ寄り道しながらでも、短歌を「読む」ことを、言語化することで、身につけていきたい。
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