「主文後回し」の実務慣行はいつからあるのか
今日,裁判官弾劾裁判所で,岡口基一判事を罷免する判決が出たようです。
報道によると,判決言い渡し時に,主文の言い渡しが後回しにされたようです。
主文後回しについては,実務的には,刑事事件において死刑判決が下される際によく行われる慣行で,「死刑判決を先に言われると動揺して判決理由を聞くどころではなくなるから」という意味があるとされています(要出典)。
判決の言い渡しについては,法的には
との規定があるのみであり,主文と理由の順番が厳格に定められているわけではありません。したがって,主文を後回しに読むことも許されるとしてこの慣行が続いています。
ただ,主文後回しなのに死刑判決ではないケースや執行猶予かどうか微妙な事案でも採用するケース等も見られるところで,裁判官の多様性を感じますね(棒読み)。
今回,なぜ裁判官弾劾裁判所で主文後回しが採用されたかという点ですが,事務局である参事には現役の裁判官が出向しているので,裁判員たる国会議員の意向というよりは,事務局の示唆があったのではないかと想像しています。平成23年頃まではいましたが現在の事務局には現役の裁判官がいないという情報をいただきました。というと,裁判官の示唆なく刑事裁判の先例にならったということでしょうか。
主文後回しの慣行がいつから始まったか
では,この「主文後回し」の慣行がいつから始まったのかが気になるところです。
noteなので結論を急ぐと,悪名高い「大逆事件」(幸徳事件)の判決で主文が後回しにされていたことが確認できました(大審院明治44年1月18日判決。公刊物なし?のようですが,ネットには落ちていました。)。
以下,当時の新聞記事の抜粋です。
このように,戦前の大審院時代においても,主文後回しという慣行が行われていたことが確認できました。
上記引用部分以降には,主文の言い渡し直後には喧騒状態になっていたことが記されています。これを踏まえると,主文後回しは喧騒状態の中での判決言い渡しを防ぐ目的に出たものなのではないかと推察されるところです。
いずれにせよ,これが最古のものであるかどうかは後年の研究者に委ねることにして筆を置きます。