読みかけの漫画を読んだので書評を書きます

惡の華を読んだ。ボードレールじゃない。ボードレールなんて読んだこともない。フランス文学なんて触ったこともない。触ったこともないなんて言いすぎたけれど読み終えたことはない。一番好きな映画は大人は判ってくれないだなんて言ってもほとんど観たこともない。トリュフォーなんてその1,2回しか観たことない。押見修造の漫画をずっと読みかけていた。今夜練馬高野台駅前のブックオフで全巻読んだ。わなわなとふるえた。眼を真っ赤にしていた。ぼくみたいな中途半端な文学青年はみんな心のなかに佐伯さんがいて仲村さんがいて常盤さんがいる。頭でっかちで本ばっかり読んでる(ふりをしている)ぼくを罵って罵って、ぶん殴ってひんむいて最終的にはセックスしてくれるそういうひとがいると思ってる。そういう反知性主義的だけれどどこまでもサブカルチャーなカタストロフィかつエキセントリックなスーパーヴィジョンをもたらしてくれるひとがいるんだと思ってる。いや、無理矢理にでも誰かの中にそれを見出そうとしている。でもそんなひといないんだよ。みんな本当は普通に結婚して子どもを産んで育てておじいちゃんとおばあちゃんになりたいんだよ馬鹿野郎。考えてもみろよそんな狂った奴と60年一緒にいられないだろ。そうやって絶望しておとなになってワイシャツを着てネクタイをしてジャケットを着る。会社に行ってゆとり世代なんて言われてそんな気もしてくる。そんで満員電車に乗って帰ってきて駅前のブックオフで読みかけの漫画を読む。そこに佐伯さんがいて仲村さんがいて常盤さんがいる。ボードレールなんて読んだこともないし体操服を嗅いだことなんかないし身体を爪でえぐられたことなんてもちろんないのに春日くんに自分を重ねるんだ。ちょっと本やら映画やらの話をしたらお情け程度に瞳孔を開いてくれる女の子に彼女たちを重ねるんだ。ああこのひとは啓蒙されている、いままさに啓蒙されているんだ!あるいはこのひとがくそみたいなこの居酒屋からぼくを連れ出してものすごい弱み握って唾吐きかけてぶん殴ってむちゃくちゃにしてくれるんだ!ってね。でもそいつらも結局ストッキングを取ってすっぽんぽんにしちゃえばおなじもんがついてんだって桜井和寿が言ってたけどぼくは知らないよ。春日くんが外出禁止を言い渡されて玄関で親父に引き止められるシーンが最高だね。あとは結局仲村さんがお母さんと住んでなんか黒髪になっちゃってるとことか最高だね。でもいちばんいいのは常盤さんだね。全然仲村さんに似てねえから。そういうことです。ぼくが12行目くらいで言いたかったのは。要するにあなたたちは結局自分の見たいようにしか相手を見てないんですよって。そういうくそつまらないことを教えてくれる漫画です。まじでこの世の終わりみたいな顔して前衛劇とか見てるあのこも無駄毛処理してんですよってこと。前衛劇観たことないしそんなひと知らないけれども。でもさ、そういう幻を一回見てしまうと逃れられないんだよね、わかるわかる。どっかに身体の細胞ひとつひとつがあの映画のあのひとみたいにどうかしてしまっているひとがいるはずだって思っちゃうんだよね。そんでさ、童貞こじらせちゃうんだよね。もうね、青い衣を着たマリアを夢想しちゃうんだよね。あるいは真っ赤な服着たあいつね。いま特定のものを思い浮かべてたんだけどググったら意外と赤い服着てなかったね。じゃ、そんな感じです。本の虫って呼ばれたかった人生だったひとは読めばいいと思います。メリークリスマス。

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