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『その災いの夜、ある主婦の感想』  |#シロクマ文芸部 短編小説

(本文約2000字)


マチクジラのからだで醗酵とかはじまったのだろうか、光りはじめていていた、一頭だけだった。地面に墜落している。夜。

その子はうちからたぶん2kmくらい先で死んでいる。

そのとても巨大な体ぜんぶを、ふんわり白いかすかな光に覆われてしまっていて、テレビで見る、ビルの狭間を泳いでけっきょく衝突したりしてるときのあの元の肌色はわからなかった。

じき責任ある誰かたちが解体しに行くのだろうか。
わたしたち一家四人は自宅の、三階のバルコニーに出て、みはらしの良い夜の田園に死んでやわらかく光る街クジラを見ている。

今夜の直接な人にはほぼ無かったはずだ。市街地へ宙を泳ぎたどりつくまでに、うちから見えるくらいの近くの田園地帯に無数に建つ送電線に絡んで、それを引き千切り、電気が破裂したのだとおもう。

わが家のおちびふたりにもせがまれて、夫が帰ってきてくれてから、わたしたちは家のバルコニーに出てみたのだった。すこし霞む夜空に三日月が浮かんでいる。

夕暮れどきのその瞬間は音がした。とても大きかった。バァン! っていう音がして、すぐに家のなかがまっくらになった。もともと自治体の防災放送が鳴っていて、異常事態なのはわかっていたけれど、こんな近くで。

ふたりのおちびたちはそのときだけわたしにしがみ付いて震えていた。わたしがどうだったかおぼえていない。

* * *

数年前に古墳と葬儀場とあとはただ果てしないほどの田園しかないここの場所に家を買った。でなければあんな綺麗なクジラは見れなかった。ふしぎな縁だ。

お月さまが出ている下で、夫とこどもたちとわたしと四人で、クジラの巨体からかすかに光ってキラキラと夜空に浮かんでいく胞子みたいなものが浮かんでいくところを、いま眺めている。夫は今夜、現場を早々に切りあげて帰ってきてくれた。わたしは幸せだとおもう。

いつもならテレビで見るばかりの街クジラがすこし遠くだけど、目の前にある。

先々週に出現した靖国通りを泳いだ十四頭の群れはわたしが若いときにたくさん通ったデパートに次々に激突して死んだ。たくさんのひとが死んだらしい。この国のわたしたちはいつもなにもできない。無人撮影機を飛ばしてその映像の中継くらいしかできない。まだ。現在は。

ひとのいる場所ばかりに突然出現して、きまってその巨体でなにかビルとかに身体をぶつけて破壊したりしながら空中遊泳して、建物に正面衝突したり地面に墜落したりして街クジラたちはようやく死ぬみたいだ。ひとが居るところばかりだから戦車とかミサイルも使えないで、ただ、いまは勝手に死んでくれるまで待つしかないのだという。人間はひたすら避難する。

はじめて出現して騒動になったときは、わたし、夢のなかにいるのだろうかと感じた。もともと人付き合いがまるで苦手でノイローゼだと親戚のみなさんに言われてきたわたしだから、埼玉の大きなショッピングモールに墜落していく巨大なクジラたち(六頭だった)を生中継するテレビの前で夕方、立ちつくしてしまって、もう病気がいよいよダメなのかなあとおもってしまった。

でも違うみたいでよかった。夫も、はじめて出現したときは繰りかえしVTRを流すテレビを見ておどろいていたのだから。それからの毎度の中継をかぶりつきで楽しみにしているわたしたちのおちびさんたち。みんなが見ているなら、わたしも見ている。

家の三階のバルコニー、やっぱり夜中だから、すこし寒くなってきた。近くに行きたいとせがむ幼い子どもたちを夫が諫めている。ご近所のみなさんも、おなじように外に出てきているお宅もいれば、車を出発させて光る街クジラの死体と反対方向へむかうお宅も見えた。どこかに避難しているのだろうか。

「いいよ、もう出てこないだろ。電気戻ったらなにか食べよう。めし作ってくれるか?」そう夫がわたしに聞いた。なんだか、このひとと結婚してよかったと思った。わたしはうなづいた。

でもわたしが「クジラ、もうちょっと見てたい」とわがまま言ったら、しばらく時間かかって夫とおちび一号がまっくらなのに家のなかから数枚のブランケットを抱えてきてくれた。おちび二号とわたしがありがとうと言って、みんなでブランケットをからだに掛けた。

カンカンカンカンカンカンカンカンと、サイレンを鳴らしながらたくさんの消防車やパトカーや、見たことのないカタチのトラックのような車たちが、たくさん田んぼをくねるように敷かれた道を通って、街クジラのほうへ向かっていく。夫のからだに寄っかかりながらそれを眺めていた。

まっくらな中、お月さまの下でふんわり白く光る街クジラの死骸と、たくさん、たくさんの、車の赤いランプがきれいだ。わたしは市民失格だろうか。べつにいい。

そうおもったら、そのあとすぐ家のなかの照明がいっせいに点いた。わあっと言うおちびのふたり。夫がため息をついた。

わたしが「ごはんにしよっか」と言って、わたしたちはみんな家のなかに入った。

 


 
 
 
お読みいただき、ありがとうございました。

初稿掲出 2023年7月2日
最終改訂 2023年7月2日 14:37

©︎かうかう


この作品は シロクマ文芸部 のお題「 #街クジラ 」に参加させていただきました。