レタリング
今や大好きなロゴやレタリング、街角で見るのも好きだけど、作るのはもひとつ楽しい。
今日も今日とて、こんな字を描こうとレタリングした文字を塗りながら、自分はいつからレタリング…すなわち、文字をデザインして描くということが、こんなに好きになったんだろうと考えた。
おそらく、原風景は高校くらいの頃に遡る。
ある日何気なく見たそこそこ仲のいい友達の机。
彼はそこに板書用ノートを置いていて、それぞれの教科名をレタリングした文字で綺麗に描いていた。
初めてそれを見た時、俺は「してやられた」と思った。
たしか、美術の授業でレタリング集みたいな副読本が配られていた気がする。おそらくそれを見ながら、授業中にでも描いたのだろう。
俺はと言えば、当時は絵を描くのが好きで、クラスによくいる「うるさい割に意外と美術系はできるやつ」的なポジションだった。
しかし、自分じゃ全く思いつかなかったことをいつのまにかやり遂げていたそいつを見て「してやられた」と思った。
でも、周りの評価や美術の成績とかはそいつよりずっと良かったので、必死で「俺は負けていない」なんて言い聞かせた。
忘れないで欲しいのは「俺こんなん描いてんで!すごいやろ!」とか言われたわけでもなんでもない。机に置いてあったノートを勝手に見て、勝手に一人相撲を取っている。
なにと戦っているのか全くわからないが、最初にやられてしまった以上、こちらとしては二番手になるわけにはいかない。
だから「あんなん誰だってできるし」なんて勝手に心の中で言い訳していた。
恐るべき思春期。なんとまぁダサいことでしょう。もちろん、口に出してはいない。
「お前が描いてるそのノートのレタリング!俺ならもっとええのかけるからな!!」
昔のロケット団みたいな情けなさ。さすがによう言わん。
しかし、初めてあのレタリングを見た時の感覚は今も覚えている。
そもそも、それまで文字なんて興味を持たなかった。ロゴにもあまり興味がなかったように思う。そのレタリングの副読本が配られた時だって、中身はもちろんペラペラと開いてみたけれど「ただの字やん」以外の感想はなにも出てこなかった。だから、自分がレタリングを描くなんて思考回路にはならなかったのだ。
まぁ、振り返ってみれば所詮普通科の公立高校で配られる副読本。明朝体やゴシック体の字がズラッと並んでいただけだろうから、今見返したところで大して興味は湧かないかもしれない。
だけど、クラスメイトのあいつが描いていた少し不揃いで、でも丁寧なあのレタリングの文字は、初めて俺に「文字」の魅力を感じさせた。悔しいくらいにカッコよかった。
そこから、なんだか知らないけど文字の魅力に取り憑かれ、昨日も今日も、目ざとい文字を見つけては写真に収め、気が向いた日には夜な夜なレタリングを行う日々が続いている。
案外、あの日の「俺はあいつに負けてない!あんなん誰でもできるし!」というよくわからん独り相撲を、ずっと繰り返しているのかもしれない。
久しぶりに、連絡してみようかな〜。
でもアイツ、当時から10年経つけどずっと彼女と2ショットアイコンでキツイんだよな…。ま、これもよう言わん。
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